バレンタインデート予行演習｜リアクション

バレンタインデート予行演習

　一年の中でも強く冷え込む日が多い２月上旬。
　水上桜としては、高校入学試験が目前に迫ったある日の話だ。

「よい、しょと」
　参考書とルーズリーフが詰め込まれた重い鞄を抱えながら、ひんやりした真鍮のドアノブに手をかけた時、看板に気がついた。
「……くろーずど、おん——？」
　受験生の英語力でも分かる単純な文を頭に入れて残念がっていると、背後から声をかけられた。
「ゴメン今日休業日っ！　あ、それともイリヤ君に用事トカかな？」
　この『ミルクホール』のエリセイとレナート・ジュラヴリョフ兄弟と同じ学校に通う志波武道だ。
　そう言えばアルバイトする姿を見たことがあったなと挨拶を交わしていると、誰かが内側からドアを開いた音がする。
「こんにちは武道さん。すみませんリーセもレーナもまだ戻ってこなくて……あれ、桜さん？」
「え？」

　振り返ったそこには少女が立っていた。
　誰だろう。桜はキョトンとした。少女の白い肌や灰色の瞳は、ミルクホールの三兄弟と同じ血を思わせた。
（ロシアの人？　従姉妹とか、異母姉妹的な何か？）
「……あの、イリヤ君の……」
　たどたどしく話す途中、少女の後ろに馴染みの顔が何人か見えた。が、その中にいるべき『彼』が居なかった。
「え、もしかしてあなた自身がイリ——」
「『ア』です。Очень приятно.はじめまして。Я из России.（ロシアからきました）。
　わたし、イリヤ君たちのприятель、友達です」
　不自然に片言を装うのは別人ですと言い張っているようだ。
（イリヤとイリアって、単なる表記ブレじゃ……ああ）
　ちらりと見た武道が苦笑している様に、桜は状況を理解し、それと同時に少女として敗北感も味わった。
　自称イリアちゃん。ことイリヤ・ジュラヴリョフの男性として成長過程にある身体は、少女でも着こなしが難しいドレスをすんなりを受け入れていた。
（っていうか睫毛なっが！　足細！　指も男子にしてはゴツゴツしてない……からリングも可愛いのが似合いそう、イヤリングは猫か。リングも可愛すぎない程度のリボンとかクラウンで——）
　脳内で大好きなアクセサリーのコーディネートを考え出してしまう辺りが、桜らしい立ち直りの早さだ。
　折角だから飲み物でもと誘われて店内へ入ると、休業日だと言うのに賑やかに出迎えられた。
「今日って何かイベント？」
「イベントと言うか——」

　
　武道からデート演習の話しを聞いて、桜も一緒に輪に加わることにした。
　ここまできてしまえばなるようにしかならない時期に入ると、肝も座ってきたのだ。
「私も２年生の時なら挑戦者として参加してたかもしれないけれど、今回はモニター役しようかな」
　桜は窓の外を見つめながら遠い目をしていた。
「一応付き合ってた男子がいたから。それなりにいい感じだった。
　でも、夏休みのデートで破局を迎えた。それ以来浮いた話はない」
　低い声で締めくくると、遊びに来ていた女性陣が相槌をうって興味深そうにしている。だが残念ながら桜はすでに武道の方に話を振っていた。
「志波君はイリ……アちゃんと、練習しないの？」
「俺？　あー……」
　武道が照れ隠しで襟足を抑えながら遠くを見ると、テーブル横に立っていたイリアちゃんが不服そうにぷうっと頬を膨らませた。二人の兄の悪ふざけに付き合い完璧な演技をしている健気な弟に、佐藤英二が同情的な視線を送っている。
「ソウジャナクテ。
　イリアちゃんとは系統が１８０度違うから、挑戦じゃなくモニターで色んな人のを見たいかな。っとエリセイくんとレナートくん帰ってきた。
　えーっと、犠牲者さんお疲れ様です……って、いっといたほうがいいのかなこれ……」

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