洋菓子店『Ｒａｔｏｎ』の日常｜リアクション

洋菓子店『Ｒａｔｏｎ』の日常

【１】バイトの時間

　それは、浜田美幸が現れるより前のこと。
　洋菓子店『Ｒａｔｏｎ』には、バイトの楢木春彦が友人の鴻上彰尋を伴って訪れていた。
「店長さん、今日は助っ人連れて来たっす！」
　入って来るなり、春彦はオーナー兼店長の荒井景貴に声をかけると、彰尋を紹介する。
「一日なら手伝うっつーコトで、連れて来たっす。俺と違って料理得意なんで、厨房のちょっとした手伝いトカも、大丈夫だと思うっすよ」
「鴻上です。よろしくお願いします」
　挨拶しながら、彰尋はなんとなく店内を見回した。
　春彦から、バイト先の仕事が忙しいと聞いて、一日だけならと手伝いを申し出た。評判は聞いていたものの、ここに来るのは初めてだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。助かります」
　笑顔で答える景貴を見て、彰尋は優しそうな人だと感じる。その人柄が、店内の雰囲気やショーウインドーに飾られたケーキにも現れている気がした。
（あれ、なんとなく店長さんに似てるかな……？）
　レジ横にちょこんと置かれたマスコットに気づいて、彰尋はふとそんなことを思う。
「では、これに着替えてもらえますか」
　そんな彼に、景貴がバイト用の制服を差し出した。
「あ、はい」
　うなずいて受け取る彼を、春彦が厨房の奥にある更衣室へと誘った。
　だが、着替えて厨房に来るのは、彰尋の方が早かった。
　少しばかり遅れて、春彦がやって来る。
「春彦さんは、ネクタイを締めるのは、まだ苦手ですか？」
　彼の胸元を見やって、苦笑しつつ景貴が問うた。
「あはは……。な、なかなか慣れないっす」
　思わず胸元を押さえて返す春彦の首から下がったネクタイは、なんとなくよれっとしていて、苦労のあとがしのばれた。
「でも、最初のころより接客も厨房のお手伝いも、上手になりましたよ」
　再び苦笑しつつ、景貴は返す。
「タイはともかく、バイトは半年経ったんで、さすがに慣れたっすかね」
　それへ春彦もうなずいて言った。
　ともあれ、用意が整った二人は、さっそくそれぞれ業務に取りかかった。
　春彦は接客のために店の方に出て行き、彰尋はシュークリームのクリーム詰めを手伝うことになった。
「家でも作っているけど、お客様に出すと思うと、緊張しますね」
　などと言っていたものの、彼の手際には迷いがなく、シューには次々とクリームが詰められて行く。
「彰尋さんは、普段から料理をされているのでしょうか？　とても手際がいいですね」
　景貴に問われて、彰尋はうなずいた。
「家で、家事担当なんです、俺。上手いってわけじゃないんですが……。あ、皿洗いとかも得意なので、やりますよ！」
「なるほど、それで……。では、そちらも適宜お願いしますね」
　納得してうなずいたあと、景貴は言う。
　そこへ、春彦が入って来た。
「コレ、今月のメニュー表な」
　テーブルにメニュー表を置く彼に、彰尋は手を止めてそれを覗き込む。
「ケーキとかの説明のアンチョコとかあれば、お勧めもできると思うけど……」
　呟いて顔を上げ、からかうように春彦を見やった。
「楢木の様子を見学して、お手本にしようかな？」
「って鴻上、おーまーえーぇ、さりげなく俺へのハードルを上げんじゃねぇよ」
　少し意地悪な口調で言う彰尋をじとりと睨み、春彦はまた店の方へ出て行く。
　それを見送り、彰尋は思わず苦笑した。
「二人は、仲がいいんですね」
　景貴も、小さく笑いながらそんなことを言う。

　やがて、クリームを詰め終わったシュークリームを、彰尋は景貴に言われて店のショーウインドーへと並べ始めた。
　そこにやって来たのは、紅林柳霞である。
「こんにちわ。新しいバイトさん？」
「あ、こんにちわ」
　声をかけられ挨拶する彰尋に、柳霞は笑顔で尋ねた。
「景貴さんは、中かなぁ？」
「え？　あの……」
　一瞬、誰のことを問われたのかわからず、彰尋が困っているところに、景貴が出て来た。
「柳霞さん」
「こんにちわ。……今日は、お店を早じまいして、遊びに来たの」
　恋人の姿に言うと、彼女は付け加える。
「ここが忙しければ、私も手伝うわね」
「それは、うれしいですね。……お手伝いもありがたいですが、ゆっくりくつろいで行って下さい」
　景貴はそれへ笑顔で返した。
　そんな二人のやりとりに、彰尋は近くにいた春彦に小声で尋ねる。
「あの人、誰だ？」
「店長さんの恋人さん。『ステラ・マリス』って店の店長さんだ」
「へぇ……」
　春彦の答えに、小さく目を見張って彰尋は改めて柳霞を見やった。
　そしてなんとなく、お似合いな二人だ……などと思うのだった。

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