誰もいない街｜リアクション

誰もいない街

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　蝶が、長い羽ばたきを終えて一息つく。
「ん……？」
　髪に何かがとまった感触に、眠っていた少女がまぶたを持ち上げた。頭を揺らすと、蝶が飛び立っていく。
「んー……あれは……かー」
　寝ぼけ眼でその姿を追って、蝶の名を呟いた彼女は、次の瞬間疑問顏になった。
「……あれ？」
　何してたんだっけ、私……と呟いた表情は、普段の彼女よりやや幼く、純真なものだった。
「そもそも私、誰？」
　屋敷野梢は首をかしげた。

　～～
　私へ。
　私の名前は屋敷野梢、寝子高校の生徒。

　大切なモノはたくさんありすぎて、どれか分かりません。

　記憶の連続性を失った以上、貴方は私じゃない。
　自分の道を選ぶのも悪くないかもしれません。

　でも、私は今の私が大好きです。
　できれば、同じ世界に帰りたいです。

　私の家の地図を書いておきます。

　～～
「う～ん」
　記憶を失う前の自分からのメッセージに、梢は苦笑いを浮かべた。

「この、私の元々の梢さんって……不器用というか」
　困った子だなあ、という表情で息を吐く。
「素直に、記憶を取り戻してってかけばいいのになー」
　難しいこと考えずに！と過去の『梢さん』にそう言うと、梢は伸びをして立ち上がる。
　場所は旧市街、公園のベンチだった。
「じゃあ、梢さんの家に行くかなー」

「……？」
　誰かの声が聞こえた気がして、御巫時子は振り返った。
　しかし、そこにはたった今すれ違った蝶が、ヒラヒラと飛んでいるだけだった。
「気のせいだったのでしょうか」
　呟いて、時子は手元のメモに目を落とした。
　そこには、「大切なものを月にかざして」とだけ書かれている。
「大切なものってなんでしょう？　それに――」
　――私は誰なんでしょう？
　名前はかろうじて思い出せた。しかしそれ以上は、「御巫時子」のことを知らないと何もわからない。
　だが自然と、足は旧市街へと向かっていた。時子は慌てず、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせて、心や体の感ずるままに進んだ。
　旧市街の公園を通り過ぎると、店や民家の並ぶ路地に入る。
「このお店……確か米を買いに来たはず」
　妙に見覚えのある米屋の看板に、時子の唇が動く。視線を転ずれば、やはり見覚えのある喫茶店が目に入ってきた。
「歩き疲れて、ここで休憩しましたっけ？」
　それは一人で……だったろうか？
　感じた疑問を考えていると、大きな日本家屋の立ち並ぶ一角に来た。そのうちの一軒の屋敷の前で、時子の足は止まる。
　ここはたしか――。
「お婆様の住んでた家……」
　言うと同時に、時子は懐かしさに顔をほころばせた。足を早めて中に入っていく。
　ステンドグラスが彼女を出迎えた。そばにあった椅子に腰掛けると、時子はステンドグラスの、色鮮やかな空を飛ぶ鳥をじっと見つめた。
　宝石のように輝く、青い鳥だ。
「よく、ここで座って見てましたね」
　思い出をかみしめるように、時子は呟く。
　ここはかけがえのない、大切な場所だ。
　だが、まだまだ大切なものはある気がする。
　しばらくして屋敷を出ると、時子は再び歩を進めた。

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