【４】寝子島遊覧飛行　その２

　昼休み。
　食事を終えて、中庭をぶらぶらしていた羽黒 空は、自分の背中に気づいて足を止めた。
（あれ……？　いつの間に、ろっこんが発動したのかしら……）
　そう、背中には黒く大きな烏の翼が二枚生えていたのだ。
　もっとも、彼女はずいぶんと落ち着いている。
　というのも、彼女のろっこん『飛翔八咫烏』は背中に烏の翼が生えるものだったからだ。
　ただ、ろっこんを発動させるためには、楽器の演奏中に目を閉じて念じる必要がある。
　けれど今の彼女は、楽器を演奏してもいないし、何かを念じてもいない。
　怪訝な顔になりながらも、彼女は首から下げた小さなオカリナを手にした。ろっこんによるものならば、これを吹きながら消えろと念じれば、発動は解除されて翼は消えるはずだ。
　だが、いくらやっても翼が消えることはなかった。
（……どうして、解除できないのでしょう）
　更に首をひねりながらも、ここでは人目につきすぎると、彼女は足を早めて歩き出した。
　人気のない講堂裏にたどり着くと、彼女は足を止めた。
　今度はオカリナを吹きながら、ろっこんの発動を念じる。
　すると、黒い翼は更に増えて、四枚になった。
（翼が増えましたね。……ろっこんは、一定数使うと変化や進化するとか聞いていましたが……それとも何か違うような……）
　どういうことか理解できず、彼女は再び首をひねる。
　その時だった。
　頭上を何か、大きな影がよぎった気がして、彼女は顔を上げた。
（え？　空にあたしと同じ、翼のある人たちの姿が……）
　驚きに目を見張る。
　だが、すぐに好奇心が湧き上がった。何が起こっているのかはわからないが、今見た影が誰なのかは、興味があった。
　彼女は、四枚の翼を大きく羽ばたかせて空へと舞い上がった。
　もとより、飛行することには慣れている彼女だ。しかも、このろっこんの飛行速度はずば抜けている。
　あっという間に空の高みにまで昇り、先程地上から見た人々に追いつき、その前へと飛び出した。
「あ……突然視界に飛び込んで、すみません……。いつも、速度だけは出過ぎちゃうようで……」
　速度を落として謝る彼女。
「空ちゃん！」
　それへ声を上げたのは、凛だった。
　そう、空が見た『翼のある人たち』は、凛、小淋、修の三人だったのだ。
「凛さん……。小淋さんも……」
　空もまた彼らを驚いて見やる。
　ちなみに、凛は軽音楽部の、小淋は支援部の部活仲間だ。
『羽黒さんも、空のお散歩ですか？』
　尋ねる小淋に、空はここに来た事情を説明する。
「なるほど、四枚のうち二枚はろっこんによるものなのか」
　話を聞いてうなずく修の視線に、空は翼の数と大きさを気にして軽く後ろに下がった。
「あ、あまりじっくり見ないでください……恥ずかしいので……」
「恥ずかしがることないよ。空ちゃんの翼、とっても綺麗だよ！」
「あ、ありがとうございます。……あまり翼は、人前に見せたくなかったんですが」
　凛に言われて、空は更に小さく身を縮こまらせるようにする。
　黒い翼は不吉がられるだろうと、人前での飛行を避けていた彼女だ。綺麗だと言われても、その思いは変わらない。
　それにしても、なぜ彼らに翼があるのだろうか。
　怪訝に思って尋ねると、修が事情を説明してくれた。
「せっかくだから、空中散歩としゃれ込んだんだ」
　最後にそう付け加える。
『私は、飛ぶのが初めてなので、八神さんにいろいろ教えてもらっています』
　スケブに綴る小淋に、なるほどと空はうなずいた。
「それで、なんとなくぎこちない感じだったのですね。……怖がらないで、翼は思い切って大きく動かしてみると、安定して真っ直ぐ飛べると思いますよ」
　アドバイスする彼女に、小淋はさっそく言われたとおりに、翼を動かしてみる。
　すると、まだ幾分かぎこちなかった彼女の飛行は、各段に安定したものになった。
　それを見やって微笑むと、空は三人に手をふった。
「それじゃ、あたしはこれで失礼しますね」
　言って、大きく翼を羽ばたかせる。
　超速で飛ぶ彼女の姿はたちまち見えなくなり、あとにはただ、舞い散る黒い羽根だけが残されたのだった。

＋　＋　＋

　椿 美咲紀は朝、庭で花の手入れをしていて、背中に白い一対の翼が生えていることに気づいた。
　驚きながらも、事情を知るためにネットで検索して、ねこったーやネコ島Chの書き込みを見た彼女。
「これは、NMR案件なのです！」
　と意気込んだ。
　ちなみにNMRとは、寝子島ミステリーレポートの略だ。
　まずは、自分の姿を確認しなければ始まらないとばかりに、自室に駆け込んだ彼女は、そこで、背中だけではなく頭――左右の耳の上に当たる部分にも、一枚ずつ白い羽根が生えていることに気づいたのだった。
「……可愛いからいいのです。きっと深い意味はないのです」
　しばし呆然としたあと、彼女はそう呟いて、自分で自分を納得させる。
　そのあと、ポーズを取りつつ、何枚か自撮り写真を撮った。
　それから、飛べるだろうかと、ゆっくりと背中の翼を動かしてみる。
　と、体はふわりと浮き上がった。
　少し練習すると、高さや方向も自由にコントロールできるようになった。
「これは、お空へ繰り出せと、新聞記事の神様のお導きに違いないのです。いざお空へ、取材に行くのです」
　呟くと彼女は、デジカメやスマホ、メモ帳などをバッグに詰めて体に掛けると、空へと飛び出して行った。
　空中から、星ヶ丘の街並みを写真に収めたあと、彼女は他にも飛行を楽しんでいる者がいないかと、あたりを見回しながら飛行を続けた。
　飛び続ける間には、海の上に出てその輝きに目を見張ったり、吹きつける風の冷たさに一人はしゃいでみたりと、空中散歩ならではの楽しさにいくつも出会った。
　疲れたら建物の屋上や、木の上などに降りて休み、部屋を出る時に持って来たパンとジュースで腹を満たした。
　そうこうするうちに昼を過ぎ、彼女は桜花寮の上空を少し過ぎたあたりで、小淋、修、凛の三人に出会った。
「シュー君たちも、羽根が生えたのですかー？」
　友人の姿に近づいて行くと、彼女は声をかける。
「美咲紀も、翼が生えたのか」
「美咲紀ちゃん、その頭の翼、可愛いね！」
　修は軽く目を見張り、凛は彼女を見るなり声を上げた。
「はいなのです。雨寺さん、ありがとうなのです」
　二人に返してから、美咲紀はさっそく取材を開始する。
「新聞部の取材なのです。写真を撮っていいですか？　あと、空を飛ぶ気持ちとか教えてもらっていいですか？」
「相変わらずだな」
　苦笑しつつ、修は問題ないとうなずいた。
　凛と小淋もうなずく。
「空からだと、新しい発見がいろいろできて、面白いねー♪」
　最初に口を開いたのは、凛だ。
「寝子高を見たら、いつも飛べたら通学ももっと楽なんだろうなぁって思うし、星ヶ丘はおしゃれな街並みだなーって思うしね」
『こうやって、みんなで空を飛べるのが、とても楽しいです』
　小淋もスケブに綴る。
『途中に並んで飛んでいる鳥がいて、雨寺さんが一緒に並んで飛んでみようって言って、鳥と並んで飛んだんですけど、それがなんだかすごく不思議な感じで、楽しかったです』
「うん、楽しかったよね！　鳥と並んで飛べるとか、普通ないもんね！」
　それを見てうなずく凛に、美咲紀も笑顔になった。
「とっても楽しそうなのです。空を飛ぶことを満喫しているのです！」
　言って、修の方へと視線を巡らす。
「シュー君は？」
「俺は、そうだな……。ああ、楽しいよ。風が気持ちいいし、視点の位置が変わるだけでも、世界の見え方がずいぶん変わるってことを、実感してる」
　修は、言葉を選ぶように言った。
　そのあと、美咲紀が写真を撮るのを待って、修が言う。
「取材もいいが、美咲紀も一緒に飛行を楽しまないか？　俺たちはこれから、九夜山の方に行こうと思ってるんだ」
「それじゃ、一緒に行くのです」
　美咲紀は、目を輝かせてうなずく。
　そんなわけで、四人になった彼らは、九夜山めざして飛び始めたのだった。