寝子島、アクアアルタの夜｜リアクション

寝子島、アクアアルタの夜

● アクアアルタの夜

　あっしら同様海で景色を眺めるカップルに、そして何よりひびき嬢にひとつ余興を見せよう、と瓢は言った。
「あっしのろっこんで海の水を巻き上げて、巨大な噴水ショーをお披露目しよう」
　瓢が首をクルリ回すと、小舟たちの群れからすこし外れたところに甘ったるい気配をだだ洩れさせているカップルがいる――七峯亨と矢萩咲である。
　これ幸いと、彼らのキスを観察し、瓢はろっこん＜悋気の独楽＞を発動させた。
　それによって発生した局地的な竜巻が細い筋となって海水を空へ巻き上げる。
「わはーい☆　噴水みたーい！　ひびき噴水に乗ってみたーい！」
「いやいや海に落ちるから」
　さすがに竜巻の上に飛び乗るのは瓢に制止されたものの、ひびきは大はしゃぎだ。

　竜巻が消え、巻き上げられた海の水はぱらぱらと粒になって、シャワーみたいに降ってきた。
「見て、亨君。まるで星が降ってきたみたいだ」
　咲はうっとりと亨の肩越しにこの素晴らしいショーを見つめる。と、亨の指が咲の顎を捉えた。
「咲、見るのは俺だけに」

　水上音楽会は最後の曲を奏でていた。
　櫂を握るのはシグレ。伴奏は控えめに。
　響き渡るのは獅子目悠月の歌うカンツォーネだ。
　昼間練習したイタリア語で紡がれるのは、伝統的なナポリ民謡『サンタ・ルチア』。
　少年の高く澄んだ歌声がアクアアルタの夜を彩る。

（やっぱり俺、謳うのが好きだ……誰が、なんと言おうとも）

　サンタ・ルチア。目と光の守護聖人であり、シラクサのルチアとも呼ばれる聖ルチア。ナポリの船乗りたちは彼女を想い、彼女の加護を願い、この歌を歌ったのだろう。
　悠月もまた、自らの行く手を照らしてくれるよう歌に想いを込めて謳う。

◇

「ねえ、テオ」
　桃川圭花は、未だ続く猫の集会から外れて遠くを見遣るテオの隣に座ると、独り言のように言った。
「むかーしとりわけ頭のいい自称万物の霊長が人類の幼年期の終わり……なんてお話を書いたんだけど」
　だから何だと言わんばかりに、テオはむっつりと黙っている。
「文学には興味ない？　別にいいけどね」
　圭花は苦笑し、先を続けた。
「でもこーやって人間にいろいろ降りかかるようになって、私達が今まで任せっきりだったかもしれないことを自分で面倒見なきゃいけないようなことも起こったり、もしかしたらわがままに付き合わされてるおかげでさ。私達とあなた達が、協力してやっていくためのチャンスも生まれてると思わない？」
　テオは物言わず、じっと圭花の顔を見つめた。
　圭花はテオに握手するように手を差し出した。
「今更かもだけど、この間の動物園でのことだって感謝してるんだから。………ね。これからもよろしく」
「……しょうがねぇな」
　テオは圭花の掌に、自分の肉球をぽんと乗せた。
　テオの手を軽く握る。肉球のぬくもりを感じながら、圭花はやわらかく目を細めた。

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