プロムナードの夜｜リアクション

プロムナードの夜

　南戸河蔵人の席に着いたのは、自称『戦国時代から来た姫君』こと九鬼姫である。
　とはいえ姫君らしいのは前髪を水平に切りそろえた髪型、いわゆる姫カットくらいで、あとは飾り気のない黒のドレスという装いだったから、それ以外は他のキャバ嬢と大差ない。
「九鬼姫じゃ、そちは何者か？」
　……訂正。口調も現代人とはかなりのへだたりがあった。
　しばらく話してみる。蔵人にとっては意外なことに、偉そうな口調はまるで崩さぬまま、ちゃんと九鬼姫は水割りを作っていれてくれた。多少、ぞんざいな作り方ではあったが。
「姫？　戦国時代かぁ。あの頃の話は好きなんだ。大河ドラマも面白いしね」
「大河ドラマ？　テレビの番組のことか」
「うん、テレビって姫が元いた世界にはなかっただろうから、驚いたんじゃない？」
「最初は驚いたが何ヶ月もおったら慣れたわ。日中は暇ゆえ、日がな一日テレビを観ておる」
「若い子がそれじゃ不健康だなあ」
「それよ」
「それ？」
「なんで主ら、現代とかいう世界の人間は、二言めには健康健康と、体の健やかさのことばかり言いおるか？　昼間のテレビなど、話題は健康のことばかりじゃ。体ばかり無闇に頑健でも、大志を遂げずして死するならなんの意味があろうや」
「うーん、一理あるね」
「一理ではない。そちたちに理がないだけじゃ」
　なかなか面白いことを言う子ではある。しばらくテレビの話をしたが、やがて蔵人は姫のことを聞くことにした。
「えーと、じゃあどこの国の生まれで？」
「なぜにさようなことを言わねばならぬ？」
「あー……まあ、単純に好奇心。姫のことを知りたいと思って」
「まあよいわ。わらわは駿河の生まれよ」
「そこなら今川氏かな？　どの当主の時代だろう……」
「そこまで答える義理はない」
　姫は眉を怒らせ、腕組みしてしまった。まずいことに触れたのか、そも、それ以上の『設定』がないだけか。
　そこで蔵人は、恐る恐るこう言ってみた。
「本物の駿府城とか、見られるものなら見てみたいな」
「お館のことをそのようにぞんざいに呼ぶものではないわ、無礼者」
　これもいけないらしい。
「や、これは失敬」
　たはは、と笑って、聞いた話なんだけど、と前置きしてから蔵人は続けた。なんとなくこの話題も怒るような気がしたが、虎の尾を踏むギリギリのところまで行ってみるというのは、なんともやめられぬスリルがある。
「今川義元公は肥りすぎで馬に乗れず、輿で移動していたって聞いたことがあるんだけど姫はご存知？」
「たわけ！」
　姫は、威勢良くどんとグラスを置いた。
「わわっ、こりゃまた失礼を」
「呑め」
　見れば、そのグラスは蔵人の、お代わりの分であった。姫も一応、キャバ嬢らしい仕事はしているわけだ。
　はい、と蔵人がグラスを受け取り、口を付けるまで待ってから姫は言った。
「考えてもみよ。海道一の弓取りが、馬に乗れぬわけがなかろうが。乗れぬというのは後の世の作り話に違いない。そも、移動に輿を使ってよいのは、家格が高いことの現れじゃ。合戦の際であってもあえて輿に乗るのは、世に威を示すためのものであるぞ」
　理の通った話だし、実際、ありそうなことでもある。歴史というのは大抵、勝者の側から作られるものだからだ。
「ほう、そりゃスゴイ！」
「得心いったか？　いったのであれば、ゆめ、流言に惑わされんようにな」
「ははあ、かしこまって候」
　どうやら機嫌を直したらしく、ふふん、と笑って九鬼姫は席を立った。
「よい心がけじゃ。では、わらわは戻るぞ」
　ちょうど時間なのであった。
　――本気か設定かはわからんがなかなか面白い子だったな。
　妙な余韻を感じながら、蔵人は姫の背を見送る。