プロムナードの夜｜リアクション

プロムナードの夜

　深林真瞭がバックヤードに戻ると、恋々が拍手してくれた。
「すごいすごい、カレンちゃん、本当に素人？　まるで本職みたいヨー。これならすぐキャバ嬢デビューできると思うネ」
　ついさっきまで、真瞭は恋々のアシスタントとして体験入店の初仕事に挑戦していたのだった。
　今夜の真瞭は、自前のブルードレスで仕事に臨んでいた。目の覚めるようなコバルトブルーは、真瞭の肌の輝きと、なめらかな曲線美を際立たせている。演奏会後のカクテルパーティ用に買ったドレスだったものの、たしかにキャバ嬢っぽいと言えなくもない。

　なおこの日、真瞭は源氏名に困り、とっさの思いつきで『カレン』と名乗ることにした。言うまでもないことだがこれは、この日のきっかけとなった佳蓮にあやかったものだ。
　最初の客は、恋々を目当てに来た指名客だった。いきなりの長丁場であるが、真瞭は酒を注ぎ、グラスやフードの皿も交換しながら、うまく恋々と客の会話をサポートしたのである。しかも、ただ黒子のようにそこにいたわけではなく、ちゃんと会話に加わって、しっかり自分の存在をアピールすることもできた。
　上品な初老の紳士は、真瞭の冗談にもよく笑ってくれた。そして最後には、
「今度来るときはカレンさんも指名したいですね」
　と嬉しい言葉を口にしてくれたのである。
「それにしてもカレンちゃん、どこでそんな技術を身につけたの？　特に、サービスと会話、きっちり両方こなせるのがすごいヨ。私もこのギョーカイ入った頃は全然だったネ」
　恋々の口調からして、これは決してお世辞ではないだろう。もちろん真瞭は恋々から作法や仕草、接客のコツについてあらかじめきっちり手ほどきを受け、真剣に学んでいた。けれども席に着くや否、教えた恋々すら舌を巻くほどの有能さを見せたのだった。
「もともと、人と接するのは好きなので……」
　真瞭は控えめに答えた。実際、それ以外の理由は思いつかなかった。最近、楽団のことで塞いだ気持ちが続いたが、本来の自分は気さくで明るいキャラクターなので、そちらを前面に出すよう心がけたのは事実なのだが。
　彼女に自覚はないものの、それは彼女の、コンサートマスター（※）としての経験が活かされたためではなかろうか。
　コンマスはチームプレイヤーとして第一ヴァイオリンを弾くが、けっしてそこにとどまるものではない。コンマスはリード奏者として、他のプレイヤーを率いる役割を担うのだ。ゆえに指揮者同様、オーケストラについては楽団全体を見ることが求められる。実際、指揮者が急病などで突然出演できなくなったとき、本番でコンマスが全体に指示を出すこともあるという。それでいてコンマスには、他と切り離されソロプレイヤーとして活躍する場面も用意される。
　つまり、場に目を配る司令塔としての行動力と、ソロエンターテイナーとしての華はコンマスの必須条件なのである。まるでジャンル違いではあるものの、キャバ嬢と相通じるものがあるのかもしれない。
「頼もしいネ。じゃあ、そろそろつぎのテーブルに移動ヨ」
「はい」
　真瞭の歩みは、蒼い妖精のように澄んでいる。

※男性は「コンサートマスター（コンマス）」、女性は「コンサートミストレス（コンミス）」として区別して書く場合もあるが、近年は性差別を排除する目的で男女問わず「コンサートマスター」「コンマス」と呼ぶ傾向にある。本稿もこれに倣うものとする。