【６】




　傘にボスボス鈍い音を立ててピラニアが降ってくる。
　跳ねては道をおおう水の中に落ちていくのを、息を飲んで猫島 寝太郎は見ていた。
　敵は空だけじゃない、足元からも迫ってきている。
「ひええっ！　どどど、どうすれば……！」
　とりあえず高台に逃げなければ。
　雨風に煽られながらも、塀の上を慎重に渡っていく。
　しかし、高台に差しかかったところで、空から一匹のピラニアが首筋を狙って飛んできた。
「ぎゃあああーーー……って？」
　感情が先に走ってしまったけれど、痛くない。
　牙は寝太郎の後ろ髪に阻まれて首に達していなかった。
「危なかった……！　無精で後ろ髪が伸びてなかったら死んでた……」
　ぞっと背筋に冷たいものが走る。
「鋭い歯を持つ魚の捌くときの用心に板さんが髪を伸ばすって聞いたことあったけど、自分が体験するなんて……」
　しかし、安心するのはまだ早い。
「って、うわ一匹じゃない！？」
　次々に飛びかかるピラニアを傘で受け止める。
「お、おめでとうございます〜？」
　くるくると傘を回して、傘の上で肉食魚たちをころころ転がす。
　いや、別に回さなくても……と思うが、もう回してしまったものはしょうがない。
　だが、二匹、三匹と数が増えていくたびにどんどん傘が重くなる。
　だんだん手も辛くなってきた。
「くっ！　これ以上は２４本骨の傘ももたない……！」
　覚悟を決めたその瞬間、びゅうと突風が吹き抜けた。
　風に巻き上げられて、傘の上の小さな怪物も飛ばされていく。
「た、たすか……ん？　あっ、あれれ！！？」
　気がつけば、寝太郎自身も空に。
　風を思い切り受けた傘は彼の身体を天高く持ち上げる。
「ああっ！　今、空を飛んでるよぉ！　すごいねぇ〜！」
　ぐんぐん地上が遠ざかる。
　すぐ傍をピラニアたちが落ちていくのが見える。
　だが、寝太郎。この風は決して君の味方じゃないぞ！？
　風向きなんてすぐ変わるもの。風とは気まぐれなのだ。
「うわぁ！？」
　横から殴りつける突風に巻き込まれ、くるくると彼の身体が回った。
　傘はバキボキと骨がへし折れ、一気に空が遠ざかる。
「こ、こんなところで！　うわぁーーーーーーーーっ！！！」


　＊＊＊


「これ終わったらなにしたいー？」
「桜庭、終わったらなにしたい？　とか俺の死亡フラグ立てるの止めろ」
　塀の上を忍者のように渡りながら、ｍｉａｏを目指す刀と円。
　蓋の盾で降ってくるピラニアを防ぎつつ、すりこぎで叩き潰していく。
「それにしてもなんて数だ。おい、桜庭」
「なに？」
「お前背負ってるとバランスとるのきついから手伝ってくれよ」
「しょうがないなぁ……いいよ。任せて」
　そう言って、円はリュックからふたつのフライパンを侍のように抜く。
「フライパン二刀流！　迎撃！」
　ぽこぺんぽこぺん。
　ハエを叩く要領で、襲いかかるピラニアを叩き落とす。
「あはは、なんだか阿修羅っぽいね！」
「いいぞ、桜庭。その調子だ」
「でもさ、刀くん。ピラニアってちょっと食べてみたいと思わない？」
「えっ、食うの！？」
「白身魚って言うし、お刺身にしたら結構上品な味だったりして」
「あー、タイとかヒラメみたいに？　……案外いけるかもな」
「あとは料理だと……、……えっ、何あれ、刀くん！」
「へっ？」
　突然、円がフライパンで空を指した。
　その方向に何やら人影……。誰かが空から落ちてくる。
　その人影に、刀は見覚えがあった。
「……あ、あれは猫島？　な、何やってんだ、あいつ……！」
「刀くん……！」
　助けなくちゃ、と円が言う前に刀は走り出していた。
　塀から飛び降り、道に張った水の上をまるで地面のように走る。
「ど、どうなってるの、これ？」
　これは刀のろっこん＜加速＞の力。
　水や空気など本来足場にならないものを足場にできるのだ。
「右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出せば沈まない。簡単な理屈だ……！」
「な、なるほど……？　あっ、でも、水からピラニアが飛び出してくる……！」
「くっ、前からも来るのか……！　邪魔するな！」
「！　大丈夫、ボクに考えがある！」
　円は跳ねたピラニアをぱしっとフライパンで捕まえた。
　リュックから取り出した包丁でトドメを刺し、それを水の中に投げ入れる。
　すると、血の匂いに誘われたピラニアが、円の撒いたおとりのほうに集まってきた。
「よし、デコイ成功！　今だよ、刀くん！」
「ありがとな。これで心置きなく、走れる！　しっかり捕まってろよ、桜庭……！」


　＊＊＊


　楽しかった寝子島の思い出がぐるぐると頭を巡る。
　寝子校に入って、まだ一年も経っていないけれど、たくさんのことがあった。
　楽しいこと、うれしいこと、悲しいこと、辛いこと。
　どれもこれも、今にして思えばいい思い出……。
「って、これ走馬灯！？　死ぬの！？」
　道をおおう黒く濁った水が目の前に迫る。
　あんな浅い水の中に突っ込んだら、まず無事ではすまない。
　というか、よしんば無事でもピラニアさんのごはんになるのは必至！
「うわあああああーーーっ！！！」
「……ファイトー！」
「！？」
　勇ましい声とともに、横から力強く腕が伸びてきた。
　藁をも掴む思いで、その腕にすがる。
「いっぱぁーつ！！」
　次の瞬間、ぐいっと持ち上げられ、寝太郎は塀の上に華麗に着陸。
「「ニャポビタンＤ！！」」
　思わずポーズを決める寝太郎……と刀。
　ふぅと一息ついて、寝太郎は助けてくれた彼に微笑みかける。
「……助かったよ、御剣君」
「ああ、間に合って良かった」
　びしっとサムズアップで、お互いの無事を喜びあう。
「でも、なんで水の上を走ってるの？　侍から忍者にジョブチェンジしたの！？」
「まぁな、とうとう水上走行をものにしたんだ！」
「わぁ、すごいな！」
「はいはい、おしゃべりはｍｉａｏに着いてから」
　ふと刀の背中で、円がフライパンを叩いた。
「ああ、話をするには落ち着かない場所だしな。一緒に行こうぜ、猫島」
「うん、ありがとう。付いていくよ」