寝子島少年科学団の、バック・トゥ・ザ・クリスマス｜リアクション

寝子島少年科学団の、バック・トゥ・ザ・クリスマス

【残景】

　雲ひとつなく。天まで澄み渡るような、深くて青い空。校舎の屋上に降り落ちる冬の空気はしんと冷えるものの、どこまでも明快で爽やかなブルーに誘われて、斉田珠喪は、こんな晴天の日には良く、屋上を訪れました。鉄柵に背を預け、抜けるような青空を見上げてぼんやり、ただその深みを眺めているだけで……すっかり心は洗われて、凛として透き通っていくような気がして。そんな心地良さにはもう、いつまでだって浸っていることができました。
　珠喪がそうしている間、屋上に誰かが訪れることは、めったにありません。ひとりで静かに、気の済むまで、心行くまで青空を堪能するのが、いつもの過ごし方です。
　そこへ……かちゃり。扉が開く音。誰かの訪れを告げるそんな音は珍しくて、新鮮な響きとなって、珠喪の耳をくすぐりました。
　ついと何気なく、来客へ視線を寄せたなら。珠喪の瞳は親愛に細められ、頬には緩やかな微笑みが浮かびます。
　赤毛のショートカット。記憶に鮮やかな、明るい髪の色。後ろに手を組み、ゆっくりとした足取りでやってきた彼女……親友の横顔が隣に並ぶと、珠喪は、ただのひと言。
「……久しぶり」
　ぽつり。独白のように、つぶやくように告げました。

　親友の口から紡がれる言葉はどこか拙くて、珠喪は今さらのように、彼女が中国からの留学生であったことを思い出します。毎日のように接していたあの頃には、もはや意識することもなくなっていたそんな事実が、ちり、と脳裏へよぎりました。
　再会に、にこり、と笑う彼女。
　夏華。中学校時代の、唯一無二の親友。
　そういえば、彼女と初めて出会ったのも、こんな青空の下、学校の屋上でした。次々に蘇ってくる記憶に、珠喪は彼女の笑みへと、小さくうなずき返します。
　ぴこん、という可愛らしい音を、思い出します。あの時に、冗談めかして頭を叩かれて、小気味良い音を鳴らしたおもちゃのピコハンは、今では珠喪の大事な宝物。いつだって手放すことはありません。
　自分の髪をふたつに結っている、紫色の髪留めもまた、彼女から受け取った贈り物。大切な、大切な宝物。きっとこの先、手放すことは無いでしょう。
　ふと、しばしの沈黙とともに、冷たく澄んだ空気がふたりの間を流れ。やがて彼女は、口を開きます。
　何か、変わったことはあった？
「何も。変わってはおらぬよ」
　ぽつり、ぽつりと間を置きながら繰り返される、とりとめのないやり取り。ささやかで、どこにでもあるような、何気ない風景。親友同士の他愛も無い、自然な会話。
　そう、何も。あの頃から何も、変わってはいません。
　彼女への想いも。
　失った悲しみも。
　目の前の親友が、二度と再び自分の前に現れることは無いのだという、厳然たる事実もまた。
　何ひとつとして……あの頃から、変わってはいないのです。

　もう訪れることはないと思っていた親友との邂逅は、互いに言葉少なでありながらも心地良く、瞬く間に時は過ぎて……青空に赤みが差し始める頃には、珠喪は再び、屋上にひとりきり。
　束の間、どこかの誰かが起こした奇跡が呼び込んだ、夢まぼろし。
　つ、と頬を伝ったひとしずくが、予期せぬ再会を喜んでのことなのか……あるいは二度とは戻らないのだと、改めて突き付けられたことによる、悲しみのためであったのか。珠喪にはもう、良く分かりません。あるいは、両方であったのかもしれません。
　どちらにしろ、伝えたい言葉は、たったひとつきり。
「…………ありがとう……」
　冷たくもやわらかな風が吹いて、こぼれた言葉をどこか遠く、別の空へと、静かに運んでいきました。