雪暮れ湯けむり、冬の宿｜リアクション

雪暮れ湯けむり、冬の宿

● プロローグ

「刀君、だからここはね？」
『フレミングの左手のほうそくだよ』
　橘千歳のぬばたまの瞳と、小山内海の色違いのブルーの瞳が、同時に御剣刀を覗き込む。
　竹刀を握ればいっぱしの剣士な刀も、こうなるとすっかり形無しだ。

　ここは寝子温泉は猿の湯の一室。
　畳の和室にふかふかの座布団。障子の外は雪景色。
　千歳、海、刀の三人は、旅行も兼ねた勉強会をしようとこの猿の湯を訪れていた。
　というのも千歳の言葉を借りれば、（刀君の成績がね、ちょっと……いや、かなり心配なレベル）だからだ。
「勉強が終われば最高だな～」
　テキストに向かう刀は頭から湯気を噴きあげる。
　夢想するのは温泉のこと。湯に浸かったら、どんなに心地よいだろう。だが、そうは問屋が卸さないのだ。
「刀君、遊びじゃないから、しっかり勉強しないと駄目よ」
　千歳がぴしゃりと釘を刺せば、海もスケッチブックにすかさず、
『そうだよ、温泉はべんきょうのあと！』
　と書き込む。
「……千歳と海が厳しい」
「『文句いわない！』」
「わかったよ……」

　今宵、名湯『猿の湯』は満館。
　刀たちのほかにも、学生有志による勉強会が催されているらしい。
　そんなわけで学生の姿が多いが、家族連れや、中にはオネエらしき皆さんもいらっしゃる。
　噂だと、ある一室ではゲイバー仲間の新年会が開かれているとか。

　そんな人々を横目で見ながら、バスタオルを手にいそいそと廊下を歩いてきた回田はつなは、赤と青の暖簾の並ぶ脱衣所の前で、ばったり知り合いに出くわした。
「あ。千鳥くんだ～！」
「あれ、はつなちゃんも温泉～？」
　千鳥雅人は柔らかい笑みを浮かべる。
「すっごい偶然だね～ひとり？」
　はつながそう問いかけると、雅人は頷き、ちょっと照れくさそうに言った。
「テレビの温泉特集を見てたら、露天風呂に入りたくなっちゃったんだ。実家から貰ったお年玉もあるし、ちょっと奮発して一泊してみようかな……って思って。こんな所で友達と会えるなんて思ってなかったからすっごく嬉しいよ！」
「私も！　ねえ、もし良ければだけど、今日一緒しない～……？」
　はつなの上目遣いに、雅人はにっこり。
「いいよ！」
「やた！　じゃ、また後でね～」
　手を振りあって、はつなは赤の、雅人は青の暖簾をくぐる。
　温泉独特のぬくみと匂いが鼻孔をくすぐるのを感じながら。

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