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- 学年：職業
- 00月00日生 00歳
- AAA000000
一日閑話
手首の力がフッと抜け、鍵盤の上の手首が空気を撫でるように浮き上がる。
市橋 誉は一曲弾き終えた心地よい疲れを感じながら、瞼を閉じて雨音を鼓膜に響かせていた。
（——雨とピアノは相性が良い）
今日の練習に満足感を覚えて、数時間ぶりにまともに膝に両手を置いた。
そう、誉はこの瞬間まで軽く休みもしないくらいに、夢中でピアノを弾き続けていたのだ。何かを本気で目指す者の集中力は凄まじい。
今が何時か見当もつかず、練習後にはお馴染みの軽い浦島太郎気分でぼんやりしながら、誉は時計を見やった。
（しまった——！）と、思うような時間だった。
それから少し後、誉はミルクホールのドアベルを鳴らしていた。
「——それでこんなに遅い時間なんだ」
カウンター業務をしていた英二に苦笑され、誉は「夢中だったんだ」とちょっとした言い訳をする。
「買い物して何かするのは、少しだけ気が乗らなかった。調理するのはいいが、アレコレ買って雨の中を歩きたくない」
「袋が濡れたりして大変だからね」
「でも考えたら、ここに寄り道するのならば、買い物して帰るのと変わらない気がしたけど、それは考えない方向で」
「了解、僕も聞かなかったことにする！」
笑いあっていると、武道がカウンターへやってきた。
「ストロベリーパフェおねがいしまっす」「はい」
英二が誉に話し途中な事を謝罪するように視線を送って仕事に戻ると、その動きで武道も後輩の来店に気づいたようだ。
「やあやあ、ゆっくりしてってね！」
「有難うございます」
片手を上げた先輩に会釈して、誉に一人の時間が訪れた。すると急にそわそわしてきて落ち着かない。
そうか——。手伝いにきたことや遊びにきた事はあったが、客として訪れたのはこれが初めてだと気がついた。
初来店なんだなと思うと、そわそわがワクワクに変わっていく。
誉は、改めて店内を見てみることにした。
『学校の先輩家族の家にきた』のではなく、『カフェに食事をしにきた』客の目線でみるミルクホールには、新たな発見がいくつもあった。
食後のコーヒーに舌鼓をうっていると、上から「いらっしゃい」と声が降ってきた。首を回すとレナートが立っていた。彼はソーサーだけがのったカウンターテーブルを一瞥した。
「何食べたの？」
「オムライスです。佐藤にお勧めメニュー的なものがあるか聞いて——」
レナートは片眉をあげた。英二を肘でつっつき笑って、誉へ「美味しかったでしょ？」とノーが言えない質問を投げてくる。
「はい」と答えたのは、しかし誉の本心だ。
「やっぱりいい雰囲気で、素敵な店だなって思います。
食事も、店の外から見える旧市街の雨の光景も……上手く言えないけれど、とても懐かしいような……」
喋りながら誉の指は、無意識に、カウンターテーブルの上をはねていた。
言葉を作るのとは別の、もっと深いところで、ピアノが弾きたいと強く感じていたのかもしれない。
本人はレナートの青い目がそこに固定されていた事で、ようやく自分の行動に気づいた。
（これじゃ子供みたいだな……）
それに今の店の感想も、素直に言い過ぎてしまったかもしれない。恥ずかしさに睫毛が落ちて震える。
俯く彼の上に、レナートの声が落ちてきた。
「誉は感性が豊かだなぁ」
ぼやけているが関心したような口調で、なんとも言えないが決して馬鹿にしていない表情だ。
「誉は言葉を使うと照れるけどさ、
ロシアの文豪のトルストイは“Что такое искусство?”（＊『芸術とは何か』）で、芸術は人間同士の交流の手段だって書いている。
芸術は、芸術家自身が経験した感情を誰かに伝達する目的で作られるっつーのね。
すると——、誉は普段からピアノを手段に、自分の感情を周りに伝えまくってることになるんだよ。だったら言葉の一つや二つ今更じゃないか！」
と言われても、恥ずかしさの抜けない誉は、コーヒーをすすってその場をごまかした。
「お休み誉。暗いから気をつけて帰んなー」
「はい。ご馳走様でした」
最後に改めて肩越しに挨拶をして、誉はミルクホールのドアを押した。
傘を開こうと下を向くと、地面を叩く雨粒が細く小さくなっている。
（雨上がりの夜空はきっと美しいだろう）
そうだと良いと思いながら、誉は傘を開く。
そうして彼は静かな雨音を聞きながら、旧市街の通りを抜けていった。
市橋 誉は一曲弾き終えた心地よい疲れを感じながら、瞼を閉じて雨音を鼓膜に響かせていた。
（——雨とピアノは相性が良い）
今日の練習に満足感を覚えて、数時間ぶりにまともに膝に両手を置いた。
そう、誉はこの瞬間まで軽く休みもしないくらいに、夢中でピアノを弾き続けていたのだ。何かを本気で目指す者の集中力は凄まじい。
今が何時か見当もつかず、練習後にはお馴染みの軽い浦島太郎気分でぼんやりしながら、誉は時計を見やった。
（しまった——！）と、思うような時間だった。
それから少し後、誉はミルクホールのドアベルを鳴らしていた。
「——それでこんなに遅い時間なんだ」
カウンター業務をしていた英二に苦笑され、誉は「夢中だったんだ」とちょっとした言い訳をする。
「買い物して何かするのは、少しだけ気が乗らなかった。調理するのはいいが、アレコレ買って雨の中を歩きたくない」
「袋が濡れたりして大変だからね」
「でも考えたら、ここに寄り道するのならば、買い物して帰るのと変わらない気がしたけど、それは考えない方向で」
「了解、僕も聞かなかったことにする！」
笑いあっていると、武道がカウンターへやってきた。
「ストロベリーパフェおねがいしまっす」「はい」
英二が誉に話し途中な事を謝罪するように視線を送って仕事に戻ると、その動きで武道も後輩の来店に気づいたようだ。
「やあやあ、ゆっくりしてってね！」
「有難うございます」
片手を上げた先輩に会釈して、誉に一人の時間が訪れた。すると急にそわそわしてきて落ち着かない。
そうか——。手伝いにきたことや遊びにきた事はあったが、客として訪れたのはこれが初めてだと気がついた。
初来店なんだなと思うと、そわそわがワクワクに変わっていく。
誉は、改めて店内を見てみることにした。
『学校の先輩家族の家にきた』のではなく、『カフェに食事をしにきた』客の目線でみるミルクホールには、新たな発見がいくつもあった。
食後のコーヒーに舌鼓をうっていると、上から「いらっしゃい」と声が降ってきた。首を回すとレナートが立っていた。彼はソーサーだけがのったカウンターテーブルを一瞥した。
「何食べたの？」
「オムライスです。佐藤にお勧めメニュー的なものがあるか聞いて——」
レナートは片眉をあげた。英二を肘でつっつき笑って、誉へ「美味しかったでしょ？」とノーが言えない質問を投げてくる。
「はい」と答えたのは、しかし誉の本心だ。
「やっぱりいい雰囲気で、素敵な店だなって思います。
食事も、店の外から見える旧市街の雨の光景も……上手く言えないけれど、とても懐かしいような……」
喋りながら誉の指は、無意識に、カウンターテーブルの上をはねていた。
言葉を作るのとは別の、もっと深いところで、ピアノが弾きたいと強く感じていたのかもしれない。
本人はレナートの青い目がそこに固定されていた事で、ようやく自分の行動に気づいた。
（これじゃ子供みたいだな……）
それに今の店の感想も、素直に言い過ぎてしまったかもしれない。恥ずかしさに睫毛が落ちて震える。
俯く彼の上に、レナートの声が落ちてきた。
「誉は感性が豊かだなぁ」
ぼやけているが関心したような口調で、なんとも言えないが決して馬鹿にしていない表情だ。
「誉は言葉を使うと照れるけどさ、
ロシアの文豪のトルストイは“Что такое искусство?”（＊『芸術とは何か』）で、芸術は人間同士の交流の手段だって書いている。
芸術は、芸術家自身が経験した感情を誰かに伝達する目的で作られるっつーのね。
すると——、誉は普段からピアノを手段に、自分の感情を周りに伝えまくってることになるんだよ。だったら言葉の一つや二つ今更じゃないか！」
と言われても、恥ずかしさの抜けない誉は、コーヒーをすすってその場をごまかした。
「お休み誉。暗いから気をつけて帰んなー」
「はい。ご馳走様でした」
最後に改めて肩越しに挨拶をして、誉はミルクホールのドアを押した。
傘を開こうと下を向くと、地面を叩く雨粒が細く小さくなっている。
（雨上がりの夜空はきっと美しいだろう）
そうだと良いと思いながら、誉は傘を開く。
そうして彼は静かな雨音を聞きながら、旧市街の通りを抜けていった。
あとがき
担当マスター：
東安曇
ファンレターはマスターページから！
シナリオにご参加頂き有難うございました、東安曇です。
今回ちょうどタイミングよく雨が続くなかで執筆が出来ました。雰囲気が出ていれば良いのですが……。
それではまた次のシナリオなどで、お会いできれば幸いです。
今回ちょうどタイミングよく雨が続くなかで執筆が出来ました。雰囲気が出ていれば良いのですが……。
それではまた次のシナリオなどで、お会いできれば幸いです。
シナリオ
シナリオデータ
シナリオスケジュール
- シナリオガイド公開日
-
- 2016年05月02日
- 参加申し込みの期限
-
- 2016年05月09日 11時00分
- アクション投稿の期限
-
- 2016年05月09日 11時00分
