マッチョ売りの少女｜リアクション

マッチョ売りの少女

「お願いです、マッチョを、このマッチョなマッチを買ってください！」

「マッチョ……？」
　夜の寝子島駅前、暗い路地からぬるりと現れた人体模型を伴った男に
少女は一瞬悲鳴をあげそうになり、すんでのところで飲み込んだ。
街灯の薄明りに照らされ姿を現したのは、人体模型と柴犬を連れた男性……宮田厚だ。
厚は、日課の柴犬の大和の散歩に出ていただけの善良な男子高校生である。
ただちょっと、人体模型に思い入れが深いだけなのだ。
「なんだ、君困ってるのか。
よろしい、では俺がひと箱買ってあげよう！」
　持ち前の優しい性格で、困っている少女を見捨てずマッチを購入した厚だったが、
少女の嬉しそうな、これでプロテインまであと少しです！と言う声には一瞬戸惑いを隠せなかった。
「そうか、プロテインか……」
　そうなの、プロテインなの！と少女が言ったかどうかは定かではないが、
少女の鍛え上げられたマッスルボディを見て、厚はそっと自分の体を見おろした。
「女の子ってたくましいな……
俺もこームキムキとは言わないけど、腹筋割れるくらいには鍛えた方がいいのだろうか」
　少女と比べて明らかに薄い自分の胸板を見下ろす厚の足元で、
柴犬の大和が散歩の続きをねだる。
大和に引っ張られるままに、厚は散歩を再開した。
「それにしても、マッチかぁ」
　購入したばかりのマッチの箱を、厚は感慨深く眺める。
思い浮かぶのは、小さいころの懐かしい記憶だ。
「マッチを擦って火をつけるって何か良いよなぁ。
あれだ、誕生日の時のケーキのろうそくに火を点けるのってあるじゃん。
あれさ、吹き消すの含めて好きだなー」
　柴犬の大和に話しかけているようでいながら、返事を期待しない言葉は、
厚にとってその記憶があたたかなものであることをうかがわせた。
　厚は立ち止まり、箱の中からマッチを取り出して、燐の部分をそっと箱の側面に滑らせた。
穏やかな光が厚の顔を照らす。
「おー、あったかいなー」
　冬の夜は冷える。小さなマッチの炎でさえ、温度を宿らせるのだ。
「マッチの火ってさー何かこう、温かみっていうの？があってさー、それで……」
　思い出した記憶を慈しみ、愛おしむように話していた厚の言葉が、不意に途絶える。
わずかな沈黙の後、厚はぽつりとつぶやいた。
「ＯＨ……マッチョ……」
　そう。
あたたかな思い出に浸っていたが、厚が擦ったのはマッチョなマッチ。
繊細な郷愁めいた雰囲気をぶち壊しにするのは、
炎の中に映し出されたガチムチマッチョなイケてるメンズだった。
背後に見えるはスペシャルなトレーニングジム。
メンズは、炎の中から厚に向かって、
ヘイボーイ！と言わんばかりの勢いで親指を立てて見せている。
どうやら、ヘイボーイ、俺たちと一緒に魅惑のわがままボディを手に入れようゼ！と
厚を誘っているらしかった。
「えええええ、俺、スポーツジムとか行った事もないんだけど」
　思わず呟いた厚に、メンズは各々ジムのトレーニングマシンに向かい
それぞれの使い方を厚にレクチャーするように、少し使ってはサムズアップを繰り返していた。
彼らのさわやかな笑顔が胸にしみる……
　どうしようかと迷ったが、厚はとりあえず真顔でサムズアップを返してみた。
その瞬間強い北風が吹き、炎の中のマッチョメンは儚く消えて行ったのだった。
「マッチョもマッチョ（箱）もすげぇ……
あの女の子何者だよ、すげぇ……」
　駅の方を振り返れば、少女がまだ次なる獲物……いや、マッチを買い求める客を探している声が聞こえる。
その声に戦慄を覚えながら、厚は大和と御木本さんと共に家路を急ぐのだった。