マッチョ売りの少女｜リアクション

マッチョ売りの少女

「お願いです、マッチョを、このマッチョなマッチを買ってください！」

「わ、わかった……それ一つちょうだい」
　突如現れた少女のあまりの危機迫る剣幕に、羽生碧南は気圧された。
旧市街での用事を済ませ、桜花寮へ戻る途中の出来事だ。
どうやら少女は徐々に人通りが少なくなってきた寝子島駅前にやや焦りを感じているらしい。
すらりと伸びた足に縋りつく勢いで上目遣いに碧南を見上げている。
うっすらと涙さえ浮かべた少女の懇願に負け、肩に掛けていた鞄から財布を取り出し、
碧南は少女に代金を手渡すと、マッチョなメンズの描かれたマッチを一つ、購入したのだった。
「これ、どうしよう……」
　碧南は特にマッチョや筋肉に強い興味があったわけではないのだが、
せっかく購入したのだし、ものは試しと一本箱から取り出し、軽く擦ってみる。
しゅっ、と軽い音とともに、碧南の視線の先でオレンジ色の炎が揺れ始めた。
　気が付くと、碧南は見知らぬトレーニングジムで一心不乱にトレーニングに励んでいた。
トレーニングそれ自体は碧南だって優秀なアスリートの端くれ、馴染みのある光景ではあるが、
いつもと決定的に違うところがあった。
　トレーニングメニューだ。
普段ならば碧南のトレーニングは、バスケットボールのプレーに必要な
下半身のバネや腕のしなやかさを強化するトレーニングが多いのだが、
今行っているトレーニングは、どちらかと言うと筋肉を肥大化させるメニューが多いように思う。
　よく見ると、碧南の足も腕も見慣れたバスケの筋肉とは違い、
ムキムキと血管の浮かび上がるマッチョテイストな筋肉へと仕上がっていた。
もちろん、お腹にはシックスパック完備、鏡に映った背中までもが筋骨隆々と逞しい。
「え、これって私……？」
唐突な変化に碧南が戸惑っているうちにマッチの火が消え、
目の前にはいつもの見慣れた風景が戻ってきた。
「なに……いまの」
　もしかして、これがこのマッチの力なのかと
さわやかな白い歯で笑うチョコレート色の肌のマッチョメンが描かれた箱を見る。
碧南は恐る恐る箱を開け、もう一本マッチを取り出した。
　次に碧南の目の前に広がったのは、
眩しいスポットライトに照らされたステージとひしめき合う観客たち。
割れんばかりの歓声と拍手が、碧南ただひとりに向けられていた。
壁に掲げられた幕には、華やかな装飾の施された文字で"ボディビルディング選手権"と書かれている。
碧南は、どうやらこの選手権で優勝したらしかった。
それでは、羽生　碧南選手にもう一度大きな拍手を、という司会者の言葉と共に、
熱狂的なまでの拍手が鳴り響く。
碧南はそれに応えるように、熱い視線を浴びながらポージングを披露する。
ポーズを決めるたび客席からは黄色い声援が送られ、
碧南はうっとりとその声に酔いしれるのであった……
と、気が付けばやはり、碧南の目の前に広がるのは見慣れた寝子島の光景だ。
「なんだか……すごいもの見ちゃったなー……」
　まさか、押し売られるようにして買ったマッチでこんな体験ができるとは。
今までにない体験に、碧南は狐につままれたような気分で帰路に就いたのだった。