陸上部部室。入ってすぐに目に入るのは大きめのテーブルと、ベンチ。そして左右の壁には個人用のロッカーが置かれ、その向こう側には低い共有棚が並べられている。男女共同で使用するため、真ん中には間仕切りのカーテンレールが設置されているが、仲良しの現陸上部では、そのカーテンがひかれることはあまりなかった。
　いつもは部員達が談笑したり話し合いをしたりする部室だが、今はその扉が思い切り開け放たれていた。




「おぉう、大会の時に撮った写真発見なのだ～！」
　部室の床に点在する幾つもの段ボールやゴミ袋に囲まれながら、座り込んでいた真央が楽しそうな声を上げた。
「どれどれ……おっ、懐かしいな～」
　真央の声につられ、別の棚を整理していた正也が真央の持つ写真を覗き込む。
「この頃は正也ちゃんセンパイ若かったのだ」
「いや、そんなに経ってないだろう……」
　２人は作業の手を止め、思い出話に花を咲かせる。「そう言えば夏合宿は……」と言いかけはっと真央が気が付いた。
「いけないのだ！　大掃除の魔物『コンナノデテキタナツカシー』に掴まってしまったのだ！」
　真央は写真を『持ち主不明』とマジック書きされた段ボールにそっと置く。もう段ボールの中はいっぱいになってきていた。
「雑誌なんかはどうするのだ？　勝手に捨てちゃまずそうなのだ」
「そうだなー、ちょっと隅によけといて。俺見とくから」
「りょーかいなのだ！」
　真央は棚の上に置いてあった幾つかの雑誌をまとめて床の上に置く。そしていっぱいになった段ボールをうんせと持ち上げた。
「これはもう外に出しておくのだ」
「大丈夫か？」
「平気なのだ！　真央ちゃん結構力持ちなのだ！」
　小さい体で元気よく真央は段ボールを運び出していく。その背中を見送ってから、正也はまた部室に向き直った。

「……いやー、結構大変だな」
　もういっぱいになった段ボールやゴミ袋を何回も外に運び出している。しかし棚の上には、置き忘れたのかそのまま卒業してしまったのか、誰の物ともわからないプリントや辞書類など様々な物がまだまだ残されていた。
（なんとなく手を出さなくてそのままにしてたけど、やっぱ片付けないとだよな……）
　ここでこのままにしてしまってはもうずっと片付けないままだろう。この時にしないでいつするんだ。何のための大掃除だ！
「よし！　思い切ってやるぞ！」
　フン！　と気合いを入れると、仕分けの段ボールとゴミ袋を両脇に従え、正也は勢いよく片付けていく。調子よくゴミ袋がいっぱいになっていく中、ふと正也はその手を止めた。
「そういや後木ちゃんのまとめてくれた雑誌も処分しないとな……」
　正也は床の隅に置かれた雑誌の山によいせと座り、仕分けを始める。
「陸上関係は十文字さんにも聞いてみてだな……これはいらない……お、これは」
　正也の手が漫画雑誌を持ったまま止まった。
「うわ、これまだアレが連載してた時期のかー！　懐かしいなー」
　色褪せた表紙には何年か前に流行った漫画の主人公が載っている。へーへーと正也はパラパラページをめくる。パラリ、パラリ。……パラリ……パラリ。正也、完全ガン読み体勢。
　だから、正也は気が付かなかったのだ。外がガヤガヤ騒がしくなってきた事に。

「正也ちゃんセンパイー！　休憩なのだジュースが来たのだ！」
　バーンと真央が入り口に登場した時、正也は丸い背中を無防備にさらして漫画を読み耽っている真っ最中で。
「……まーさーやーちゃん？」
　真央の後ろから登場した望月の地を這うような声音に正也は上ずった声で答える。



「あっ！　いや、やってるぜ？　めちゃくちゃ分別してるって！！　いやほんと……ちょ、ちょっと待てって望月！」
　今までの頑張りを弁解させてもらえる訳もなく、望月に四の字固めを決められかけてしまう正也だった。


「だーれーだーよー、自分の荷物持ち帰ってねぇヤツは！」
　一休みして、作業再開。棚の整理に参戦していた望月は汚い練習着とシューズの山に顔をしかめる。
「そーいうのも『不明』の段ボール入れといてくれ。名前書いてありゃいいけどな」
「長い休みにはこーいうのは持ち帰って手入れしねーとどえらい匂いになって大変なんだぞ……って、ねーちゃんが言ってた」
「冬で良かったよな……」
　言葉を交わしながら作業を進める正也と望月。「そういや古い陸上雑誌出てきたぞ」「それなら卒業生のとこだけスクラップして処分だな」なんて２人で色々話していたが、望月が棚の後ろに差し込まれた雑誌に気が付いた。
「なんだこれ落ちたのか？」
　何気なくその雑誌を引き抜き、表紙を見た瞬間、望月の目と鼻の穴が同時に大きく開かれた。
（……正也ちゃん、正也ちゃん！）
　女子に気付かれぬよう小声で望月が正也を呼ぶ。正也が傍に来ると無言で雑誌をそっと見せた。
（……！！）
　正也の目と鼻の穴も同時に大きく開かれる。
（こ、これは……！）
（そう、エロホーン！）
　２人は雑誌を持ってお互い顔を見合わせる。正也が無言で雑誌を受け取り、自分の着ているジャージの下にそっとボインの姉ちゃんを仕舞い込む。そして２人はグッと拳を突き合わせた。
　―――これこそが男の友情である。

　人出が来てくれたお陰で作業が飛躍的に早くなる。もう後は部室は掃除と各自のロッカー内の片付けだけになっていた。望月を筆頭に男子部員が空になった棚を外に運び出していく。
「よーしどんどん運び出すぜ！　出来ればロッカーも出して後ろ掃除したいんだけどなぁ」
「それはずらせばいいんじゃないか？　望月結構きれい好きだな」
「そっか？　だって大掃除じゃねえか！」
　そんな頼もしい男子部員の横で、女子部員もしっかりと頑張っている。



「よし、今日はとことん拭きまくるぞー！」
　気合いが入るのは若菜だ。雑巾を手に、桟やロッカーの上など、日頃手の届かない所もきちんと水拭きしていく。
「電灯も換えた方がいいかな……」
　椅子に上って手を伸ばす若菜。窓拭きをしていた真央が慌てて椅子を押さえに行く。
「若菜ちゃんセンパイ、それはさすがにちょっと危ないのだ誰かに頼むのだ」
「え、そっかなー、何とかならないかな？」
「真央ちゃんも若菜ちゃんセンパイも大して背がかわらないのだ、という事は２人大きくはないのだ幸太ちゃんセンセ～！」
　椅子を押さえながら真央が叫ぶ。外にいた幸太が飛んできた。
「どうした後木？！」
「電灯換えて欲しいのだ～」
　幸太は未だあきらめずぷるぷると手を伸ばす若菜を見て全てを理解する。
「十文字やめとけ！　後で俺がやっておく！」
「え？　先生も私達と大して背がかわらな……」
「お前達よりは大きいわ！　それよりそろそろロッカーに手を着けたらどうだ？」
「は～い」
　若菜は幸太のプライドを優先し、素直に椅子から下りる事にした。

（じゃあロッカーをしようかな）
　若菜は自分のロッカーの扉を開け、片付けを始めた。
　中の私物を全て出す。その多さにちょっと驚いた。
（２年近くお世話になってるものね……）
　自分は来年は３年生だ。３年になっても最初の方はここに来るかもしれないが、受験が見えてくればそうちょくちょくも来られなくなる。そう考えれば、ここにお世話になるのも、あと少し。
　私物を仕分けながら、若菜の脳裏に色々な思い出が去来し、胸がじんわりと熱くなる。
「若菜ちゃんセンパイ～、ゴミを外に出そうと思ってるけど、いらないのまだあるのだ？」
　真央の元気な声に若菜は慌てて瞬きした。
「あ、持って帰るから捨てるのはないよ」
「わかったのだじゃあ外に出してくるのだ～」
　ゴミ袋を抱え元気に外に出て行く真央を笑顔で見送ると、若菜は自分のロッカーを丁寧に拭いていく。そして残す私物を綺麗に戻し、そっと扉に触れた。
「お別れの時まで……もうちょっとお世話になるね」
　キィ……パタン。静かに扉が閉められた。