ストリーミング・ドリーマー｜リアクション

ストリーミング・ドリーマー

　落ち付いた様子で眠りにつく用意を整えた仙藤紫はベッドサイドに焚いた香のかおりの心地よさに大きく息を吸う。
　夢見の香という名を持つそれは、噂通りの効能が無くとも十分に安眠へと誘うものだ。

　このまま眠れそうと唇に乗せた言葉の通り、ゆっくりと眠りの淵へと誘われる紫は――名前を呼ばれた。
　愛らしいソプラノボイスは「ゆかりちゃん」と幾度も繰り返す。
　折角の安眠を阻害する様な声にふるりと睫を震わせて重い瞼を押し上げた紫は「菜緒ちゃん」と言葉に乗せた。
　どうして、と掠れた声に菜緒と呼ばれた少女は首を傾げる。
「どうしたの？」
「え、う、うん……？」
　私は、小学6年生？　と己の掌を見下ろした紫は目の前で笑っている少女――沢渡菜緒をじっと見つめる。
　小学生の頃に一番仲の良かった少女。物静かな紫とは対象的に元気の塊で騒々しく走り回る明るい菜緒。
　記憶の中でも笑みが一番に残っている彼女は「紫ちゃん」と手を差し出した。
「いこ？」
　小さく頷いて、震える白い指先をゆっくりと差し伸べた紫は彼女の事が好きだったとぼんやりと考える。
　手を引いて走り出す菜緒。自分にはないものを持っている対象的な互いを、足りない部分を補う様に好いていたのかもしれない。
「菜緒ちゃん、何処に――」
「九夜山！」
　二人きりで何処かへ行こう。『あの夏休み』をもう一度なぞる様に、二人で出かけよう。
　寝子ヶ浜海岸で泳いだことも、九夜山へ登った事も、まだ覚えている。
　はやくと笑う菜緒に手を引かれ揃いの浴衣を着て向かった花火大会の鮮やかさは今も鮮明だった。
「紫ちゃんは怖がりだなあ」
　けらけらと笑った菜緒の腕にぎゅっとしがみつきながら涙を浮かべた紫は肝試しのルートを辿る。
　度胸のある菜緒は一寸の事じゃ驚かないと口元に笑みを湛えて「こっちだよ」と先を指差していた。
「紫ちゃん、東京へ行こうよ！」
「お父さんは……？」
「二人でいくんだよ！　ほら！」
　二人きりで寝子島の外へ出て、初めて保護者同伴ではなく東京へ行った思い出は武勇伝の様に語った。
　愛らしいソプラノボイスで「すごいねぇ」と笑った菜緒の笑顔は、記憶の中の彼女と何ら変わりない。
「紫ちゃん、ほら、おいで」
　こっちだよと走り出す彼女の笑顔は――記憶の中の彼女なのだと理解させるようで。

　は、と目が覚めた。
　気怠い瞼は朝日を感じとる。今の菜緒は日本には居ない。彼女の父親が海外へ転勤する事が決まり、夏休みが終わる少し前にアメリカへと渡ってしまったからだ。
　記憶の中で別れ際の彼女がこびり付いている。
　紫ちゃん、と懐かしい声音で呼んでいた――彼女の思い出に息を付いた頃、目覚ましの様に着信音がメールの受信を告げた。

『From:菜緒』

　時折交わすメールの中で生き生きとした彼女が幼いころと変わらない様な笑顔を浮かべている事がよくわかる。
　アメリカで飛び級して入った大学で演劇を学び、女優の卵となった彼女は小劇場の舞台に今日も立っているのだろう。

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