土曜日は島外で｜リアクション

土曜日は島外で

　休日の横浜駅は、いつものように酷い混みようだった。
　下手をすればもみくちゃにされそうな人の流れの中、追分義一が向かったのは地下鉄のコンコースである。
　今日、横浜の地下鉄では、とあるアニメの関連イベントが行われていた。
　一人黙々と目的地へ向かう彼の耳に、拡声器の声が飛び込んだ。
「ネッコロガリーナのスタンプラリー、スタート地点はこちらでーす」
　駅員が呼び込みをする声に、関係のない乗客たちが奇異の目で見ているのは、鮮やかな赤、青、黄、紫のドレスを纏った四人の少女たちのイラストポスターだ。
　これこそ彼の目的——『劇場版☆魔法少女ネッコロガリーナ』だった。

　この地下鉄はそれ程歴史あるものではなく、降りたったホームも綺麗に清掃されていた。
　扉が開き、電車に乗る。
　黒く素っ気ない『よこはま』の文字が通り過ぎていくのを無表情で一瞥し、義一は今一度用紙に視線を落とした。
　彼が参加しているのは、劇場版☆魔法少女ネッコロガリーナのスタンプラリーイベントだった。
　一番最初の駅で貰った用紙の空欄に、指定駅に置かれているスタンプを押していく。全て集めると、限定のクリアファイルが貰える、という仕組みだ。
　魔法少女ネッコロガリーナは、おたく少年義一が執心しているアニメの一つである。公式グッズはもちろんの事、同人誌——彼の好みは健全本、所謂全年齢向けだ——まで手を出すハマりようだった。
　その劇場版の公開にあたり、今回のイベントが行われているのである。
　これは主催の鉄道会社の予想を上回る盛況ぶりで、休日の今日は特に参加者が多く、小さなお友達から大きなお友達まで義一と同じ用紙を手にしていた。彼らは所謂同好の士であるが、面識もない相手だ。
　——そう、義一は『ぼっち参加』である。
　一人きりのミッションを前に、それでも彼は、寂しいなどと思いはしなかった。
（孤独ではない。
　なぜなら俺の心の中はネッコロガリーナで満たされている。
　一つ一つスタンプを押していく様は、さながら俺とネッコロガリーナたちの共同作業のようにも感じる）
　常人には理解し難い考えだったが、赤いドレスの少女しか描かれていない用紙の空きスペースに、新たな魔法少女を捺印していく度、彼の心は踊るのだ。
　顔は何も言わずとも、胸の内は高揚し、幸せで満ちていく。
（あー楽しい……、この淡々と作業していくの楽しすぎる……）

　そして職人の如く無駄のない動きで数駅をこなした時、遂に彼の手に、例のものが握られた。
　赤、青、黄、紫のドレスを身にまとった四人の少女たちのイラストが描かれたクリアファイル——つまり、ポスターと同じ柄であるのに、義一はそれをまるで司祭からパンを受け取るように恭しく、清廉な心で拝領する。
　暫し彼は、劇場版☆魔法少女ネッコロガリーナのスタンプラリーイベント限定クリアファイルを手にいれた喜びを噛み締めるように、無表情でその場に立ち尽くしていた。
　このイベントはまるで、ネッコロガリーナの作中で四人の魔法少女が一話ごとに集まっていく展開を思わせる、素晴らしいものだった。
　だから彼の手にしたクリアファイルは、ただのクリアファイルなどではない。
　魔法少女のラストフォームのような、特別な輝きを持ったものなのだ。
　義一は感動に浸りながら、握った拳を高らかに天へ——改めて説明するとここは地下鉄であるから、正確には天井だ——と突き出した。

「ママ〜、あのお兄ちゃん何してるの？」
「シッ見ちゃいけません！」
　と変質者を前にしたお馴染みのセリフが聞こえた気がするが、義一は何も気にせずに、大好きな二次元の世界にどっぷり浸かった一日を楽しんだのだった。

このページにイラストを設定する