夕暮れアメジスト｜リアクション

夕暮れアメジスト

●夕暮れを拾って

　期末テストが間近に迫ったある日の夕方、仙藤紫は寝子島スポーツセンターの室内プールに訪れていた。紫は水泳部なのだが、今日は部活もなく試験勉強をしなくてはいけないところではあったがいまいち気分が乗らずに泳ぎに来ていたのだ。
　三年生である彼女だが、ＡＯ入試で大学進学を既に決めている為、他の三年生よりも時間的余裕があった。……大学から出された入学前の課題などがあったりはするが、今はただ泳いでいたかったのだ。
　世間的には１２月も半ばで今年も残り僅か……師走である。そして、何よりもクリスマスが数日後に迫っている。
　寝子島も１１月も半ば程からクリスマス商戦が始まっていたし、イルミネーションも夜の街を美しく彩っていた。本来ならうきうきと心躍る時期ではある。けれど、紫にとっては未だ癒えきらない心の傷を刺激されるばかりだ。

「……もう一本、泳いでいきましょうか」

　ふるりと頭を振って、綺麗なフォームで飛び込んで泳いでいく。その姿はまるで人魚姫のように美しく、どこか儚げだ。
　泳いで気持ちをすっきりさせようとしたはずなのに、何故か浮かんでくるのは去年のクリスマスのことだ。付き合いだして四ヶ月目だった元彼……今年の夏休み、最後の週末に別れた彼と過ごしたあの時間。
　彼が好きなアーティストのクリスマスライブがあるからと横浜へ行き、みなとみらいの大観覧車で二度目のキスをした。あの時の夜景もイルミネーションも、忘れられないまま紫の胸に沈んだままだ。
　決して、燃え上がるような恋ではなかったと思う。淡々とした恋だった、そうずっと思っていたけれど。
　その恋は、確かに紫の内側を焦がしたのだ。自分が思うよりもずっと熱く己の内側を燃やしていたのかもしれない。終わってみて、初めてその熱の高さを、自分の想いを知るような、そんな恋だったのだ。

「……ぷはっ」

　プールの壁に手を突いて、水面から顔を上げて息を吸う。辺りを見回し、誰もいないことを確認して紫は仰向けになってその身を水に委ねた。ゆらゆらと浮かんで目を閉じる。
　そして、身の内を焦がした熱が今も尚、微熱となって紫の心を苛んでいた。

「喪失感、なのかしらね」

　自分は強い人間だと思っていたけれど、意外とそうでもなかったのね、なんてどこか他人事のように嘯いて目を閉じる。
　その心に寄る辺なくプールに浮いている自分はまるでオフィーリアのようだ、とも思う。とぷん、とプールの底に沈んで、けれどすぐに美しいフォームで泳ぎだす。
　どれだけ傷付いたとしても、水底に沈んだままのお嬢様ではいたくない。
　一通りのメニューをこなして、プールサイドに上がる。そして窓の外を見れば目の覚めるような美しいアメジスト色の綺麗な夕焼けが広がっていた。

「……あの夕焼けの色を、一滴だけ固められないかしらね……？」

　その美しさに、思わずそんな言葉が零れ落ちる。そうして、暫くの間言葉をなくしたように無心でその色を見つめていた。
　見つめるうちに、紫は心の奥の疼痛が鎮まった気がした。
　それはまるで、心の中に夕焼けの色と一緒に固めたみたいに、優しく紫の心に落ちたようだった。

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