夕暮れアメジスト｜リアクション

夕暮れアメジスト

●優しい時間は夕陽と供に

　木鈴寧々子が寝子島に訪れてから、早いもので二ヶ月ほどの時間が過ぎようとしている。

「たったそれだけの間に、色々なことがあったもんだねー」

　シーサイドタウン駅前から寝子ヶ浜海岸へと向かって寧々子はぶらぶらと歩いていた。その姿はいつもの明るい彼女と違って、どこか頼りないようにも見えた。
　風の向くまま気の向くまま、散歩気分で歩けばゆっくりと太陽が海へ傾こうとしていくのが見える。
　薄っすらと色を変えていく空を見ながら、寧々子は「色々なこと」を思い出していた。
　どうも、この島は世間一般で言うところのフツウとは少し違うようで、けれどそれがここでは日常茶飯事なのだ。そして、そんな現象を共有さえしているように寧々子は感じていた。
　そして彼女自身、まるで小説の中の出来事のような……絵空事のような出来事や事件が起こる中で、寝子島で話し合うことができる友達もできた。
　今まで感じていた退屈が吹き飛ぶような、そんな気持ちになれた。
　でも、　それなのになんだか満たされていない……その理由は寧々子には既にわかっていた。
　いつも一緒にいて、嬉しいことも悲しいこともわかちあって、笑いあっていた……あの子がいないからだ。寧々子の服の裾を掴んで付いて回って、飴が好きで、あげると口の中で大事そうに飴を転がしながらはにかんでいた、あの子。
　寧々子はポケットに入れてある飴を無意識に触りながら、大事な記憶に触れていた。

「優しすぎるのよ、あの子は」

　ぼそりと呟いた声は小さく、海風が攫っていく。
　普段はおとなしいのに、真面目さゆえに頑固で。優しいから、人一倍傷付いて。誰にもわからないように泣くのだ。
　あれはいつの事だっただろうか、ずっとこのまま二人仲良く一緒にいれるのだと思っていたのに。……血が繋がっていないことを知って、使用人になることを選んで喧嘩になった、私の妹。
　血が繋がっていようといまいと、あなたは私の妹だと叫んだあの日のことは、今も寧々子の心をちくりと刺すのだ。

「……八千穂」

　酷く頼りない声が、寧々子の唇から漏れた。
　四年前に家を飛び出した寧々子を、今も使用人を続けながらあの家で待っている、大事な妹の名前だ。一度呟いてしまえば、堰を切ったように想いが溢れてしまう。

「なんで、お互いあんなにムキになったんだろう」

　若かったからだと言ってしまえばそれまでなのかもしれないけれど、感情的になってしまったのはそれだけお互いがお互いを想いあっていたからなのだろう。だからこそ、お互いの気持ちを考えることが出来なかったのかもしれない。
　今なら、もっとうまく話せるだろうか。
　……自分から、謝ることができるだろうか。

「声が聞きたいよ、八千穂」

　こんなにもひどくあの子の声が聞きたいのは、この島の夕陽のせいだと寧々子は目を閉じて足を止める。いつの間にか海岸沿いまで来てしまっていた。
　遠くまで、来てしまっただろうか。まだ、近い場所だろうか。
　今なら、まだ間に合うだろうか。
　目を開けて空を見れば、オレンジサファイアからアメジスト色の綺麗なグラデーションを描いていた。ポケットの中に入っている、橙色の飴と薄紫色の飴のようだと寧々子は思う。そっと飴に触れていた手が、携帯を掴む。
　ディスプレイに触れる指が震えているのは、寒さのせいからだっただろうか。操作を終えて、耳へと当てる。コール音が寧々子の耳に響いて、それから懐かしく、けれど忘れることのない声が耳朶を打つ。

「……八千穂？　久し振り」

　寧々子は携帯を耳に当てたまま、ゆっくりと海岸沿いを歩く。落とした視線の先には足元から伸びる影。久し振りに聞いた、八千穂の声が震えているのがわかって、寧々子が見つめる影も滲んでいく。
　空は寧々子を包むように、ゆっくりとその深さを増していた。

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