犬と歩けば……｜リアクション

犬と歩けば……

　中学時代からの親友関係にある深林真瞭と深倉理紗子もまた、この日カフェを訪れていた客の一組だった。
　真瞭はヴァイオリン奏者——、年末は上演される演奏会の本数も多く忙しい時期になるのだが、ちょうど休みが取れた折だった。
　過労から職場復帰したばかりの理紗子を気遣って、のんびりウィンドウショッピングの、憩いの時間である。

「いろんな犬種がいるわね。どれも個性豊かで可愛いわ」
　看板を見て来店を決めた真瞭は、犬好きなようだった。なんでも子供の頃に飼っていた経験があるらしい。理紗子は詳しくその話を聞いたことはなかったが——。
「どんな犬だったの？」
　理紗子はごく自然に会話を切り出した。
「コリーって犬種を知ってる？」
　真瞭に言われて、理紗子は頷きながら頭の中に曖昧な知識を蘇らせていた。
　牧羊犬として古くから人に愛されてきたコリー犬には、幾つかの種類が存在する。中でも白黒の長毛が特徴的なボーダー・コリーは有名だが、映画やテレビドラマで有名になったラフ・コリーも人気だ。理紗子がその辺りに詳しければ真瞭に問い直したかもしれないが、あいにく彼女はコリーといえば長毛種であるくらいにしか知らなかった為、「名前は？」と別の方向へ繋げた。
「クララ」
「へえ、素敵ね。ここにはその種類は居ないのかしら」
　理紗子は店内を見回しながら、犬たちの愛らしさに目を細めていた。
　寝子島は猫が多い。
　だからか分からないが、島内で使われるキャラクターやモティーフも猫が多く、これほど犬だらけの光景は、この島の病院で働く彼女を新鮮な気分にさせた。
「——でも意外だわ。寝子島にも犬を飼ってる人って、思ったより居るのね」
「シーサイドタウンは大きな公園もあるし、ペットを飼うには良い環境なのよ」
　真瞭は外に面した窓を見て言う。
「……ねえ、少し風に当たらない？」
　真瞭に導かれてテラス側に出ると、店内ではお行儀よくしている犬たちも、カチャカチャと爪の音を立てながら自由に歩きまわっていた。
　その中にコリー犬を見つけると、真瞭は膝を曲げておいでと言うように手を伸ばした。
　犬はやはり彼女をじっと見つめ、その切なげな瞳の奥に何かを見つけたのか、静かに近寄ってきた。
　真瞭の変化に気づいたのは、犬だけではない。
（まーちゃん……）
　親友が遠い目をしながら過去を思い起こしていることへ、理紗子は何も言わずに、そっと彼女の背中に手を置いた。
　ただ真瞭の長く美しい黒髪が浜風に揺られ、ゆっくり時が過ぎていく。それはあたかも彼女の傷ついた心を癒し、溶かすかのようだった。クララによく似たコリーが真瞭を促すように小さな声で鳴いた時、気づけば彼女は、親友に向かって自ら話しだしていた。
「クララ……、とても可愛かったな。ピアニストの父親がベルリンのオーケストラに招聘されて、一家でドイツに移り住む少し前に病気で死んじゃって……あのときは本当に泣いた。
　あれからもう20年か……本当に早いね、時が過ぎるのって」
「うん」
　たったそれだけを答えて、理紗子は今は真瞭の心に踏みいろうとはしなかった。ただ犬と共に真瞭へ寄り添っていた。
　真瞭は自分の気持ちに一旦踏ん切りをつけるように頷いて、コリー犬の背中を撫でる。
「もしかするとクララの生まれ変わり……ってわけないか」
　理紗子へ眉を下げた笑顔を見せて、真瞭はこう言った。
「でもそんな風に思ったっていいじゃない」

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