風邪をひいた日｜リアクション

風邪をひいた日

　新江天懸がイリヤと出会ったのは、ドラッグストアの付近の道端だった。
　互いに同じ買い物袋をぶら下げているのを見て、偶然だと、店にいる時は気づかなかったけれど一緒だったのかなと笑う。
　実はこの日、天懸が下宿している先の家族もまた、風邪をひいていたのだ。バタバタしている家の中で過ごすには気が引けて、この辺りをぶらついていた彼は、下宿先の家族の為のスポーツドリンクとマスクを購入していたばかりだった。
　イリヤの買い物袋には風邪薬が入っているのが透けて見えたが、彼のピンピンした様子からは異常があるように思えない。聞けば二人の兄が風邪をひいているのだと言う。
「薬と苺は買ったから、買い物はこれで終わり」
　イリヤはそう言いながら、笑顔を浮かべている。
　それが天懸には不思議だった。何故なら天懸にとって、先程の下宿先の家族への買い物は『点数稼ぎ』の為だったからだ。　
　面倒な買い物をしてまで大人の顔色を伺う自分に一人ごちていた彼には、イリヤの笑顔の意味が分からない。
「どうして家族が大事なんだ？」
　ぽつり、と天懸の口から素直な疑問がこぼれ出た。
　先日旧市街のクリスマス飾り付けをした日、イリヤに言われた事が、心に残っていた所為かもしれない。
　——こいつに関わってみたい、と天懸は自分も知らずに思っていた。ともすればイリヤは、家庭の事情を話しても、大丈夫な相手ではないかと……。
　微妙な表情でいる天懸へ、イリヤは首を傾げる。
「天懸は、家族が大事じゃないの？」
　質問への回答より先に来たイリヤの疑問へ天懸は一瞬詰まり、視線を逸らしつつも覚悟を決めた。　
「……まあ、俺の家、こう、両親の仲悪くてな」
　濁しつつも、自らの境遇を自分から言う勇気を出した天懸へ、イリヤは「そっか」と短くこたえる。
「長いかもしれないけれど、貴方にはちゃんと話すのが、良い気がする」
　苦笑しながらイリヤは答えに入る前に前置きする。何かを打ち明けてくれようとした天懸に対して、誤魔化すような言葉を吐きたくなかったのだ。
「何年か前だけど——。
　朝起きたら病院だった。お医者様は、僕が疲れてしまって、眠っていたんだって言ってた。良く分からなかったけれど、お医者様が言うんだから正しいんだろうと思ってた。
　それに、入院してたら、両親が来るものだと思ってたから、気にしてなかった。
　でも来なかった。
　１日眠って、次の日に、リーセとレーナが来た。両親が事故で死んだって僕に教えた。意味が分からない。でも兄さんが言うんだから、きっと、正しい」
　一度口を噤んで、逡巡するような間を置きながらイリヤは続けた。天懸はそれを静かに聴き入っている。
「それから僕だけが、遠い親戚ってご夫婦に引き取られた。優しい二人。でも、彼等が欲しかったものに、僕はなれなかった。
　住む家が変わって、学校が変わって、着るものも食べるものも変わった。別人になれって言われてるみたいだった。
　でも僕には両親も居たんだ。あの人達は本当の父親でも母親でもない。けれど、両親が死んだって思うと、それが分からなくなる。名前も変えようって言われて、どうしたらいいのか分からない。僕は怖くなった。
　その時に、リーセとレーナから電話がきた。二人が日本へ行くって、別れの電話だったけれど……、二人が僕の名前を呼ぶ声を、弟だって言うのを聞いて、僕は自分を思い出したんだ。
　だから、今は、僕が何処へ行っても、兄さん達の側が、僕の帰る場所。大事な家」

　この話しに、「どうして家族が大事なんだ」と問いかけた天懸自身は、この場では軽く相槌を返す事しか出来なかった。
　その後いつもと同じような笑顔で別れたイリヤの背中がすっかり見えなくなった時、天懸は漸く下宿先へ向かって、暗くなった道を歩き出していた。　

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