【お願い、叶えます！】

　しんと冷えて、澄み切って清廉で、そして甘ーい夜でありました。
　日が落ちれば、寝子島イリュージョンランドの野外音楽堂には照明器具のひとつも無く、空から降り注ぐ月と星の光、そして街から届くおぼろげな明かりがあるばかり……にも関わらず、詰めかけた人々の表情はこれでもかと輝いていて、恋人たちは隙間も無いほどにぴったりと寄り添い合って、今日のイベントの始まりを待つのです。
　そしてそれは、骨削 瓢と天馬 ひびきのご両名。らぶらぶかっぷる！　もまた、例外では無いわけなのであります。
「ひびき嬢、寒くはないかい？　ほれ、マフラーをこうすれば……あったかいし、この人ごみではぐれることも無いさぁ」
「ありがとー瓢さん！　えへへっ、ほんとだ。あったかいね……♪」
　長ーいマフラーをふたりでひとつ、くるくる巻き巻き。ぴったりと身を寄せ合って、瓢はきりりと、ひびきは瞳をきゅるんと潤ませながら、お互いを見つめ合っては互いの想いを確かめます。
　そう、この場の全ての人々を例外なく染め上げているのは、底抜けの笑顔！
　出所不明、主催者も不明というこのイベント、ねこったーに流れてきた『クリスマスイリュージョンライブ！』の観覧のために集まった人々は、みな一様にその開催を信じ、今か今かと始まりを待ち受けているのです。フツウならちょっぴり怪しんでしまいそうなつぶやきに基づいて、これだけ多くの観客たちが詰め寄せることとなったのはひとえに、まさしく聖夜の奇跡……なんて言われてもうっかり納得してしまいそうな、そんな不思議な夜なのでした。
　ひびきは、胸にきゅっと抱いたぬいぐるみ、いつも一緒のはやぶさくんの耳元に口を寄せ、嬉しそうに話しかけます。
「瓢さんとデート、嬉しいねー♪　えへへ、はやぶさも一緒に可愛がってもらおうねっ」
　ちょこんと付けたヘアピンも、あったかそうなコートも、はやぶさくんとお揃い。おまけに隣では、大好きな彼が、
「今日のひびき嬢は、はやぶさくんとお揃いなんだねぇ。うん、可愛らしいよぃ」
　なんてことをさらりっと言ってくれるもので、ひびきはほんのり頬っぺたを赤くして、はやぶさくんをむぎゅっ！　彼へもますますぴったりすりすり！　もー存分に、イチャイチャしてしまうわけなのです。

「今日はいっぱいいっぱい、楽しんじゃおうねっ♪」
「もちろんだよぃ。一緒にね」



　とはいえこのイベント、当然にして誰かしら司会者さんがいるわけでも無く、進行表があったりするわけでも無いわけでして。まずは誰かが心を決めて、しゅばっと壇上へと駆け上がり、びしっ！　最初をキメていただかないことには、何も始まらないのです。
　結梨亜・カールシュテインはきょろきょろ、観客たちの中に混じって周囲を見回します。友人に聞いた噂は、どうやらこの人の集まりようを見るに、本当だったようです……と思いきや、いくら待てども何かしら始まるような気配は無く、やがてあたりにはざわざわと、何にも始まらないね、やっぱりウソだったのかな？　仕方ない、帰ろっか？　なんて声が聞こえ始めます。
（……それは、もったいないなぁ）
　と、結梨亜は思うのです。
　真偽はさておき、これだけの人間が信じて集まってきたのは確かです。例えば今ここで誰かが飛び出して、何かしら演奏でも始めてみたなら……観客は大いに楽しみ、噂は本当になるでしょう。
　その機会を、このまま待つに任せて失ってしまうのは、もったいない！　ポジティブ思考な結梨亜は、そう考えたのでした。
（よーし……！）
　きゅ、と手に握り込んだのは、愛用のトロンボーンを収めたケース。そう、愛用の楽器ならここにバッチリ、用意してあったりするのです。
　止まないざわめきの中、結梨亜は、しゅばっ！　壇上へと飛び出したのでした。

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「みなさん、こんばんはーっ！」
　元気よく手を上げて、にっこり笑顔！　何事かと見上げた観客たちへと、結梨亜は声を張り上げました。
「えっと、今日はみなさん、クリスマスライブのためにいらしたんですよねー？　私もそーなんです！　でも、誰かがイベントを進めてくれるわけでも無いみたい……だからって、このまま帰っちゃうのは、やっぱりもったいないですヨ！　だってせっかくこうやって、クリスマスの夜に、みんなが集まってるんですから。だから、私！」
　金色にきらきら、月明りを帯びて輝くトロンボーンを手に、結梨亜は、にぱっ！
「トップバッター、いっちゃいますっ！　みなさん、聞いてもらえますかー？」
　なんて会場へ尋ねれば、当然のこと。楽しむつもりマンマンでやってきた観客は、うおー！　と声援を上げ、恋人たちはやっぱり身を寄せながらに、ぱちぱちぱちぱち！
　歓迎の拍手にこくりっとうなずきまして、満を持して彼女は、イベントの始まりを告げました。
「それでは、聞いてくださいっ。クリスマスといえば、この曲！」

「『We Wish You a Merry Christmas』！」
　月夜の下へ、トロンボーンの豊潤な音色が今、響きます！



　結梨亜は元よりトロンボーンの演奏が大好きで、こんな風に人前でその腕前を披露する機会は、願ったり叶ったり。そこに注ぐ情熱は人並み以上、マウスピースへ唇を寄せ、スライドを巧みに動かし吹き鳴らすその様は実に様になっておりまして、それだけで観客たちからは、わあっ！　と歓声が上がります。それほどに本格的な演奏を見られるとは、思ってもみなかったのでしょう。
　それに何と言っても、クリスマス！
（今日は何だかいつも以上に、楽しく演奏できちゃいますね♪　そんな気持ちを、楽器に込めて……！）
　演奏にかける熱意と一緒に息を吹き込み、遠慮ナシ、思いっきりの演奏を。結梨亜は夜空へ、轟かせます！


♪　　　　　　　　　　　　　
……We wish you a Merry Christmas. 　　　　　　　
♪　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　We wish you a Merry Christmas
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　♪

　不意に。トロンボーンの包み込むような音色の中へ、するりと紛れ込むのは、歌声でした。
（あ……誰か、歌ってくれてる？）


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　♪
We wish you a Merry Christmas. 　　　　　　　　　

　　　　　　　　　And a happy New Year！
♪　　　　　　　　　　　　

　声の主、その姿は、観客席の中にありました。
　優しくて、透明で伸びやかで、美しい歌声を響かせているのは……フィンレイ・ランカスター！　共にここへ訪れていた、言わば音楽家同士。これも縁とばかりに、彼は壇上の結梨亜へとにっこり笑って、歌を添えてくれました。
（うわぁ、綺麗な声……！　あれっ？）


♪　　　　　　
Good tidings we bring
♪　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
To you and your kin.
　　　　　　　　　　　　　　　　　♪

　やがて結梨亜の耳には、彼の澄み渡るそれだけではなく、多くの歌声が届き始めます。フィンレイに刺激されて、観客たちが一斉に、一緒になって、歌い始めます！　聞けば誰もが知っている歌で、たとえ歌詞を知らなくとも、スマートフォンででも検索したなら、すぐにも探し当てることができました。
　気付けばみんなで、結梨亜のトロンボーンに乗せて、『We wish you a Merry Christmas』の大合唱！


　　　　　　　　　　　　　　　♪
We wish you a Merry Christmas.
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　♪
And a Happy New Year！
♪　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

（すごい、すごい！　嬉しいなぁ、楽しいな♪）
　結梨亜は高揚に頬をにまーっと緩ませながら、ノリにノッて、１番のみならず２番、３番まで通して演奏！　初っ端から会場はひとつになり、イベントは盛り上がるままにスタートを切ったのでした。

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「ありがとうございましたー！　それでは、『クリスマスイリュージョンライブ』！　この後も、盛り上がっていきましょーっ！！」
　うおー！　結梨亜が振り上げた手とともに、会場は今や一体となって、満ち満ちた熱気を止めどなく放出していくのです。
「We wish you a merry Christmas、We wish you a merry Christmas……♪」
　ひびきもまた、冷気の漂うこの夜に、何だかぽかぽかと熱に浮かされたような心持ちで、耳に残るメロディーを口ずさみます。
　瓢は、そんな彼女の肩へとそっと手を回して、
「どうやら、噂は無事に本当になったみたいだねぇ。今夜は楽しめそうだよぃ♪　ねぇ、ひびき嬢」
「うんっ！　あっ、瓢さん、おなか空かない？　私ねー、いっぱい持ってきたんだー」
　ごそごそとカバンを探りますと、出てくるのはぽかぽかカイロやらあったかシートやらの防寒グッズに加えて、マシュマロに、ホットココアに、
「それにそれに、クリスマスクッキー！　はいっ瓢さん、あーん♪」
「あーん。んむ！　美味い！　この形は、こりゃあ、猫かい？」
「えーっ、オオカミだよーオオカミ！　ほらほら、がおーっ♪」
　なんて、イチャイチャ！
　恋人たちの夜は、まだまだ始まったばかりなのです。