……アンド・ジャスティス・フォー・オール｜リアクション

……アンド・ジャスティス・フォー・オール

　武術と暴力は違う、それが尾鎌蛇那伊の考えです。人を傷つけるのが暴力であるのに対し、武術はむしろ人を傷つけないための手段だと彼は信じています。それはもやもやとした理想なのではなく、彼が厳しい鍛錬を通じて体得した理解です。
　それゆえに、単なる暴力を蛇那伊は認めません。
　ましてや、正義の名の下に振るわれる暴力など、どこかの漫画の台詞ではありませんが、あっていいはずがない。
「そう、あたしがこの事件を知ったのも、みんなと同じでネットってわけ」
　蛇那伊の鋼の肉体が、今日に限っては巧妙に隠されていました。くたびれたスーツは古着屋で購入したもので、フレームの太い野暮ったい眼鏡は100均ショップで見つけたものです。けれども今、その眼鏡の奥から覗く瞳は、研ぎ澄まされた矢尻のように鋭いものがあります。
　常闇月はうなずいて、
「その服装で、囮になって下さるというわけですね」
「そういうことね。下見に来たら、みんなを見つけたという話。この格好でサラリーマンに見えるかしら？　上手く釣れるといいんだけど」
「なんか、近くで見るとそんな感じじゃないかな……？」
　風雲児轟が首をかしげました。
「ああ、もちろん実行時はメイクも落とすわよ」
　ふふ、となにやら妖艶に蛇那伊は微笑むのです。
　月が四人目として指摘したのは蛇那伊の存在でした。蛇那伊は大柄な体でありながら、巧みにその気配を消して市橋誉や轟、月が集まっているのを観察していたのですが、月の視線に促されるようにして姿を現したのでした。自分の正体と考えを明かした蛇那伊も、彼らと行動を共にすることに決めました。
　彼らはそれぞれの役割と方針を確認しました。
「あとはなんとかして、犯人グループをおびき寄せる手段を確保する必要が」
　誉は言いかけて口をつぐみました。
「忘れ物忘れ物、と……」
　言いながら白衣の女性が姿を見せたのです。大きな眼鏡をかけ、ルビー色の瞳をしています。黒髪ですが前髪の一房だけ、桜のような淡い緋色をしていました。
「うん？」
　白衣姿の天神平庵は足を止めます。ただならぬ雰囲気を感じ取りつつも、肌に危険の手触りはありません。
　素知らぬ顔をして前を通過してしまうこともできそうですが、このま通り抜けてしまうのは惜しいような気がしました。
　犯人？
　いえむしろ、その犯人を追っているのではないでしょうか、彼らは。
　だったら、庵のやるべきことはひとつです。
「いきなりこんなことを言うのはなんなんだけどさ」
　庵が口を開きかけたとき……八葉るちるが公園に姿を見せたのは、ちょうどこのときでした。
　るちるもまた、実地を確かめておきたくて、事件現場の可能性のある場所を巡っている途中なのでした。なお、ここはるちるが訪れた二番目の公園となります。
「あの人たちは……？」
　るちるは唾を飲み込みました。
　しかし不安がる必要はありませんでした。まもなくしてるちるは、自分の他に事件解決のために動く人たちがいると知ったのですから。

　ちょうどその頃、公園の外周を袴姿で走っている男がいました。
　鍛錬のためなのでしょう、黙したままただひたすらに走っています。
　額に浮いた汗がいくつも、音もなく滑り落ちていきました。
　熊のよう、と端的に表現するのが最も似つかわしいところでしょう。といってもキュートな森のクマさんではなく、人間の頭くらい簡単に吹き飛ばす獰猛な『羆』の印象です。身の丈2メートルを超える巨躯ながら俊敏、らんらんと輝く双眸から匂い立つような殺気を振りまいています。
　それもそのはずです。彼、伊織源一は静かに怒っているのです。憤りは炭火のように、胸の内側で淡々と燃えていました。

　――不愉快な噂を聞いた。
　自分の住む旧市街で起こった暴力事件。依然その手がかりは見つかっていないといいます。
　源一が住む近くの事件だけに噂の足は早く、すぐに彼の耳に届いていました。
　犯人は集団、それも、小学生や中学生ばかりの集まりとのこと。
　犯人曰く、被害者は女の子を買おうとしており暴行は制裁であり正義である、と。
　けれどもその言葉に、容易に首肯できないものが源一にはあります。
　――何が正義で何が悪かと断じられるような立場ではないし、それを論じるつもりもない。
　けれども、と彼は考えるのです。
　――それが人を傷付ける暴力である以上、止めない理由はない。
　やがて犯人グループは知ることになるでしょう。
　怒らせてはならない相手を怒らせてしまったのだと。

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