【お三夜】猫と人、二つの世界が交わる夜｜リアクション

【お三夜】猫と人、二つの世界が交わる夜

●割り切れていること、いないこと

「……自分を乗り越える、ですか」
　影猫と向かい合った三夜静音は自嘲ぎみに口にした。
　隣にいる桃川圭花が聞き出した、ここを通るための条件。
　静音は早くもあきらめに似た感情を抱いていた。
（……それ以前の問題ですでに逃げちゃってますがそれは）

　小さな頃から、自分自身でいる事が大きなハンデだと思っていた。
　表情が乏しくて理解されないことが多かったし、女の子らしいかわいさも乏しかった。
　だからだろうか、時に家族以外の人間から心無い事を言われたりもした。
　大家族である三夜家。その家族のなかで、自分はみそっかすの役を与えられたに違いない。
　家族というとドラマやＣＭに出てくるような楽しく明るい側面ばかり想像してしまうけれど、そればかりということは有り得ない。家族という枠の中で必然的に生まれる歪みや影の部分を引き受けてしまう者が、いる。それは自然の摂理みたいなもので、向日葵が太陽の方を向くように自然と起こってしまうことなのだ。
　他の家族が次々と自分の道を見出していく。
　そのたび自らの空虚さに少し焦りのようなものを感じたりもした。
　だから中学時代は陸上に打ち込んだ。
　一生懸命だね、なんて言われたけれど、単に家族を見ないですむ口実がほしかっただけだ。
『眩し過ぎて直視できない？』
　影が耳元で囁いてくる。
　そう、うちの家族は私には眩しすぎる。
　近くにいればいるほど、真夏の太陽が濃い影を作るように、心にある影のようなものは大きくなる。
　愛しているけど……愛しているからこそ、その存在が辛い。
　そんなことがある。
「高３にもなれば、そこも割り切れるようになりましたけど」
『そうでしょうか』
　疑問形で見つめてくる、影の自分。
『本当は、未だ何もない自分が、コンプレックスなんじゃないでしょうか』
　影はぱっと身を翻す。まるでなにかから逃げるように。
（この猫はいったい何から逃げてるのでしょうか、私から？　それとも……直視したくない現実から？）
　ぼんやりする頭で思って、ふいに気配を感じて振り向く。
　そこには巨大な影猫が……。

◇

　静音は大きく膨らんだ影猫に呑まれるようにして消えた。
　圭花は速鐘を打つ心臓のあたりを抑えながら、乗り越えるということについて考える。
「『乗り越える』……ま、そりゃ思い当たることはあるけど」
　圭花だって静音の気持ちはよくわかる。
　家族の中のみそっかすの役。
　割り切るなんて口で言っても、そう簡単に割り切れるものじゃない。よくわかる。
　けれどもし、違いがあるとすれば――それは『狛猫』に出会えたことかもしれない。
　歌。その夢に向かって歩む友人たち。
　身近で見て、応援して、勇気を貰って、与えてきたと思う。
　何処にいても、何をしてても。
「……」
　思い返す、愛しき日々。
　彼女たちだけじゃない。
　たくさんの出会いがあって、小さな積み重ねがあって、だから今ここにいる。
　それが圭花が手に入れた強さ。
「自分の弱さを受け入れるって決めたら、時にはそのまま行くことだって大事だと思うわ。一人でいられないんだとしたら、誰にも頼らず生きていこうなんておこがましい、って風にね」

　圭花は一歩踏み出した。
　私は前を向いて歩くだけ。止められるものなら、止めて御覧なさい。
　強い瞳で。強い意志で。

　――影猫になにができたろう。ああもちろん、何もできなかったのだ。
　ランウェイを歩くように堂々と進む圭花を祝福する。圭花のかたちをした影は彼女を見送って、消えた。