授業風景～日本史の時間の場合～｜リアクション

授業風景～日本史の時間の場合～

「『報徳』をご存知でしょうか」
　教壇に立った蓮は、教室に向かって穏やかに語りかけた。
「二宮金次郎の名で知られる二宮尊徳が、天保の大飢饉を機に始めた運動です。農村の復興を目的としており、江戸時代、東北から近畿の広い範囲に広まりました」
「一人ひとりが経済力に応じて支出に限度を設け、余った分を譲り合うことで、国全体を幸福にするという思想だよ。特に為政者に厳しい徳目を説いた」
　先生が解説を加える。
「報徳運動は、他者を救うという倫理上の義務を存在理由としています。その意味では、慈悲無尽講を行った江戸中期の哲学者、三浦梅園の思想と似ています。思想史上の系譜で、直接の因果関係があるわけではありませんが」
　高校生離れした蓮の考察は、さらに深みを増していく。
「時代は下って明治時代。ドイツに留学し、シュルツェ＝デーリチュの思想を学んだ内務省官僚・平田東助は、報徳を時代錯誤なものと考え、日本社会を自由競争経済と優勝劣敗の原則に適応させようとしました。
　そこで、平田は尊徳に従四位を与え、報徳二宮神社建立を援助しました。尊徳は遺言で、自分のために神社を建立することを禁じていたにも関わらず、です。『報徳の考えは、実践的なものでなく宗教的・文化的なものである』という印象を強めるためでした」
「平田東助に言及するとはさすがだね」
　若杉先生も、予想を超えた発想力に苦笑している。
「平田東助は明治時代の官僚政治家で、明治憲法下の法体系の整備などに務めた『日本近代化の裏方』と言える人物だよ。山縣有朋の側近でもある」
「さて、当時農商務省農務局農政課にいた官僚・柳田国男は、平田の代弁者として、『徳は時代遅れの考えで、近代国家の要請にそぐわない』と説いていました。柳田は、報徳を保守的・形式的な慈善団体と解釈し、営利企業に転換することを提案したのです。
　この時、尊徳の四大門人のひとりである岡田良一郎は、柳田の提案に対して、報徳の他者救済という基本思想が損なわれると反論しました。果たして、柳田らの進めた地方変革は失敗、失望した柳田は官職を離れました」
「そう、民俗学の巨人・柳田国男が生まれるわけだが……」
　先生の言葉に対し、蓮は微笑んで結びの言葉を述べた。
「日本の鎖国が続き、西洋の思想が入ってこなかったら―――報徳二宮神社はなく、柳田も民俗学者にはなっていないでしょう。これが、私の結論です」
「なるほどね……」
　仙藤紫は、さっきの蓮の言葉に得心がいったように呟いた。
「内容は対照的でも、『日本は資本主義経済にならない』ことは同じなわけね。面白いわ」

「さて、ちょうど終わりの時間も迫ってきた。皆の発表は、どれも楽しんで聞かせてもらったよ」
授業の終わりに、若杉先生が全体のまとめをする。
「それぞれが個性を出したり、似通ったことを考えたり。政治・外交だけでなく、経済や文化、思想にまで踏み込んだ人もいた。歴史は過去の人間のあらゆる営み全てであり、それゆえに歴史の切り口は無限にある。それを今回感じてくれたら嬉しい。
　皆、歴史の面白みはわかったかな？」

　はい！
　教室が元気に答えると同時に、終業のチャイムが鳴った。

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あとがき

担当マスター：三城俊一
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皆様、ご参加ありがとうございました。

「歴史のもしも」を想像する授業、いかがでしたでしょうか。
政治・外交のみならず、思想関連まで多様な考察をしてくださった方もいて、書く側は非常に楽しむことができました。

大学時代の現代史の講義で、「第二次世界大戦後、もし日本がドイツのように東西に分裂していたら世界史はどうなったか？」という課題を出された思い出が本シナリオの着想のきっかけです。学生の頃を思い出しながら、楽しく書き進めました。

こんな発表系のシナリオも、また出してみたいものです。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。

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