授業風景～日本史の時間の場合～｜リアクション

授業風景～日本史の時間の場合～

４．
　仙藤紫は静かに教壇に登ると、落ち着いた口調で発表を始めた。
「もし、日本が鎖国を続けていたら―――日本は、おそらく外国、具体的に言えばロシアの支配下・影響下にあった可能性が高いわ。理由は、18世紀からすでに日露間で衝突が発生していたこと」
　紫は手元の資料を見る。
「1804年、文化露寇という事件が起きたの。再三にわたる開国要求を拒否されたロシア使節が怒り、択捉島や樺太を襲撃、略奪した事件ね。さらに、千島列島の測量任務中だったロシア軍人ゴローニン少佐が抑留されたゴローニン事件。これの報復として、ロシアは国後島沖で商人の高田屋嘉兵衛を拿捕、抑留したの。
　これだけ見ても、他の欧米列強と比べて、ロシアとは直接日本との利害対立を起こしやすい地政学的関係だったとわかるわ。欧米の開国要求を退けて鎖国を続行しても、最終的にはロシアの勢力圏内に組み入れられていたと思われるわ」
「仙藤の指摘の通り、ロシアは建国以来膨張をつづけ、極東に達してからは日本との接触も増えてくる。現に、列強の開国要求は、1792年のロシア使節ラクスマンが最初だった。
　この推測で思い出すのは、当時鎖国状態だった朝鮮だな。鎖国を続けて近代化が遅れた結果、ロシア、次いで日本の圧迫を受けることになったが、日本の鎖国が続いていたら同じような道をたどったかも……」
　若杉先生が補足説明をする。
「さて、日本がロシアの支配下にあったとしたら―――その場合、20世紀初頭のロシア革命により、日本もまた共産化は免れなかったはず。スターリン体制下の大粛清の余波も及んだでしょうね。
　東西の冷戦時には、極東における西側への防波堤、そしてソ連の太平洋進出拠点の役割を担うと思うの。その結果、現在の日本は全く違う様相を呈するはずだわ―――公用語がロシア語になっていたり、日露が混じりあった独特の文化が誕生したり……文学に音楽、豊かなロシアの文化がどう影響していくか、興味の湧くところね。まとめると」
　紫はここで、言葉を切った。
「もし鎖国を続行していたら、私たちが使う文字は漢字や平仮名、カタカナなどではなく、キリル文字だったかもね、ということ」

「もし鎖国が続いていたら……当時の国際情勢を踏まえた、説得力のある考察だったよ。日本が共産化していたら、冷戦のゆくえも変わっていただろうし、東側ももっと命脈を保てたかもしれない。考えさせられる発表でした」
　コメントを述べる若杉先生の台詞が終わるのを待っていたかのように、一人の生徒が静かに手を挙げる。それまでほかの生徒の発表に耳を傾けていた、森蓮だった。
「とても興味深い発表でした。紫さんの発表では、日本が鎖国を続けていたとしたら共産圏に入るとのことでした。日本人の思想や、経済のあり方が180度変わってしまうと」
「ええ、ありえないと笑われてしまうかもしれないわね―――」
「いいえ、そんなことはありません。私の発表も、倫理と経済に関わってくる点で共通しています。ただし、話の筋は対照的です。紫さんの考察が、政治史の『動的な歴史』だとしたら―――」
「森くんの発表は、思想史の『静的な歴史』ということかしら」
「はい。では私が、最後に発表をします」

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