月夜に届く笑い声｜リアクション

月夜に届く笑い声

　新緑の色のカーディガンを着て真辺伸幸はのろのろと歩道を歩いている。頭には酷い寝癖が付いていた。寝ぼけたような目をしている。
「深夜のお散歩だねぇ。『眠れないから眠くなるまで、その辺をふらふらしようの会』の発足なのよー」
　首が座らない赤ちゃんのように頭が動いた。自然と周囲に目がいくようになる。
「あれは子供だよねぇ。なんか透けて見えるんだけど、こんな綺麗な月の夜にはあることなのかなぁ」
　伸幸は危機感のない声で子供のいるところに歩いていった。
　女の子は海側に背中を向けて座っていた。投げ出した両足は誰かを呼び止める為なのだろうか。広がったスカートの上に両手を組んで頻りに指を動かしていた。
「やあ、こんなところに座ってどうしたのー？」
　女の子は肩を震わせた。自分の耳を疑っているのか。とてもゆっくりとした動作で顔を上げた。
「お兄ちゃん、わたしが見える？」
「もちろんだよー。髪が長いよねぇ。大きい瞳は少し垂れ目でかわいいよー」
　女の子は俯いてしまった。機嫌を損ねたのかもしれない。ぬー、と伸幸は困った声を出した。
「……初めて、言われたから」
「そっかー。少しびっくりさせちゃったかなぁ」
　伸幸は女の子の隣に胡坐をかいた。
「ここは静かだねぇー。今の時間は車も少ないし、お話しするのにちょうどいいよねぇ」
「なにか、お話して」
「じゃあ、こんなお話はどうかなぁ」
　女の子は興味を持ったらしく、伸幸の方に顔を向けた。
「ある寒い地方の村に住んでいた男の子の胸に、硝子の破片が刺さってしまいましたー。すると今まで優しかった男の子が、急に冷たい態度を取るようになったのですー。大人達は集まって相談しましたー。村一番の医者に頼んで、胸から硝子の破片を取り除くことに決まりましたー」
「なんだか、痛そう」
　女の子は震えるような声で言った。
「麻酔をするから、痛くはないよぉ。でも、難しい手術なので命が危なくなるかもしれないのよねぇ」
「そんなのかわいそうだよ」
「そうだよねぇ。そこで幼なじみの女の子が男の子を家から連れ出しましたー。でも、大人達が追い掛けてきますー。二人は頑張って逃げましたが、大人の足には勝てませんでしたー」
「それで二人はどうなっちゃうの」
　泣きそうな女の子を抱えて伸幸は膝の上に乗せた。嫌がる様子はなく、話の続きを小声でせがんだ。
「女の子は大人達に向かって、手術に反対しましたー。性格が冷たくなっても、男の子が別人になったわけではないのですー。女の子は今の男の子を認めて欲しかったのでしたー」
「それでどうなるの」
「大人達は女の子の話を聞いてはくれませんでしたー。男の子を無理に連れ帰ろうとしましたー」
「そんなの、二人がかわいそうだよ」
　伸幸は女の子を優しく抱き締めた。
「だいじょうぶだよー。男の子の胸に刺さっていた硝子はなくなっていたからー」
「え、どうして」
「それはねぇ。男の子の胸に刺さっていたのは硝子ではなくて氷の破片なのよー。優しい心でしか溶けないものでしたー」
　女の子は笑顔を見せて、すぐに悲しそうな顔をした。
「……みんなが、わたしを無視するのって……胸に氷が刺さっているから、なのかな」
「そうかもしれないねぇ。でも、俺の胸の氷は、かわいいキミに癒されて溶けてなくなったよー」
「……もっとお話を聞かせて」
　伸幸は女の子を抱き締めながら、次はねぇ、と最初の目的を忘れたかのように話を続けるのだった。