月夜に届く笑い声｜リアクション

月夜に届く笑い声

　紫色のワンピースの背に垂れた髪は月の光で銀色に輝いている。適度な風を頬に受けた桜月は赤い目をうっとりと細めた。
「良い夜だね。少し寄り道しよう」
　右手に提げた買い物袋を引き上げるようにして、左手の寝子ヶ浜海浜公園に足を向けた。
　月明かりに照らされた道を行くと、細い街灯に背中を預ける小さな姿が目に留まった。
「こんな時間に、子供？」
　月は周囲に目を向けた。近くに両親の姿はなかった。少し考えるような顔付きを柔らかい笑みで包み込む。
「こんな夜にどうしたんだい？」
「アタシと遊んでよ」
　街灯から女の子が飛び出した。ショートの髪で上下のパジャマは少し透けて見えた。不思議なことには慣れているのか。月に驚いた様子はなく、微笑んで見せた。
「何して遊ぼうか」
「じゃあね、かけっこ！」
　女の子の要望に月は苦笑した。運動面で期待されても困る。表情は物語っていた。
「ねえ、お姉ちゃん。その袋に何が入っているの？」
「色々な道具だよ。そうだ、絵を描いてあげる。あそこのベンチまで行こうか」
「うん、いいよ」
　どうやら上手く誤魔化せたらしい。女の子はスキップで一番乗りを果たし、ベンチの端に座って大きく手を振った。少し遅れて月が隣に腰掛ける。買い物袋からスケッチブックと鉛筆型のクレヨンを取り出した。
「何を描こうかな」
　月の言葉に女の子は腕を組んだ。前後に頭を振って、あー、と頻りに声を出す。月は笑いそうな口に、そっと手を押し当てた。
「子供が将来なりたいもの。題材としてはいいかもね」
　ベンチから離れたところで声がした。青いハンチング帽を被った旅鴉月詠がスケッチブックを小脇に抱えて現れた。傍らには浴衣を着た小さな男の子が歩いていて、月詠の羽織った白いニットの裾に手を添えている。
　月詠は月の右隣に目を向けた。
「そこ、座ってもいいよね」
「はい、どうぞ。君も子供の為に？」
「見えたし、話し掛けられたから近づいた。公園を通ったのは偶々だ」
　月詠はベンチに座るとスケッチブックを開いた。男の子は隣に座って中を覗き込む。
「まだ何も描いてないよ。記念に今の君を描いてあげよう。数分で終わるしね」
「うん、お願い。かっこよく描いて」
「出来る限りのことはしよう。その前に名前を教えて欲しい」
　男の子は迷うような表情を浮かべた。
「えっと、上島かな？　名前はコウ……コウタ！　上島コウタだよ、たぶん」
　そう、と月詠は言ったあと、左手に目を向けた。月は浅く頷いて口にした。
「長い時間がぼんやりとさせるのかも」
「そうかもしれないね」
　二人は子供達の顔を、それとなく目にした。
「ねえねえ、お姉ちゃん。アタシも描いてよ」
　女の子に急かされた月は、そうだね、と頭を撫でた。
「なりたい職業ってある？」
　再度、女の子の腕組みに月は言葉を足した。
「看護師さんはどうかな。看護婦さんの方が分かり易い？」
「アタシ、看護婦さんになる！」
「じゃあ、ナース服だね」
　女の子は笑顔で頷いた。

　月詠は描くのが早かった。デフォルメされた子供は小さいながらも特徴をしっかりと捉えている。縁日の一場面なのだろうか。背景の提灯に祭りの文字があった。男の子は斜めに構えて肩に射的のライフルを乗せていた。
「すごくいいよ。なんか、ヒーローみたい」
「それは良かった」
「わたしも、描いてもらえる？」
　月詠が声の方を向くと、ランドセルを背負った女の子が恥ずかしそうな顔で立っていた。
「構わないよ。君達も描いてあげよう」
　様子を窺うようにしていた子供達が一斉に走り出す。瞬く間にベンチは笑顔に囲まれた。
「かわいいのがいい」
「俺は強そうに描いて」
「ボクは元気な感じで」
　子供達の声が飛び交う中、月の隣に座っていた女の子が喜びの声を上げた。
「アタシじゃないみたい！　でも、素敵なアタシなんだよね」
「そうだよ。これが君の姿だ」
「お姉ちゃん、ありがとう」
　胸に飛び込んできた女の子を月は優しく抱き締める。膝の上にはスケッチブックが開いた状態で置かれていた。完成したナースの絵は淡い色を基調に細かく描き込まれていた。
　それとなく月詠の目に留まる。
「服装のデザインがいいね。それに精密だ」
「ありがとう。でも、人物は得意ではないかな。それより、君は見事だね。小さい絵なのに相手の特徴を見逃さないのだから」
　月詠はハンチング帽を目深に被って、どうも、と一言を返して立ち上がる。
「私は子供達全員の絵を描きたい。足を使って描くとしよう」
「そう、私は――」
　隣りの女の子が悲しそうな目で、お姉ちゃん、と弱々しい声を出した。
「もう少し落ち着けるところで描くよ」
　女の子の喜ぶ様子を横目に月も立ち上がった。

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