いざ行かん、買い物日和！｜リアクション

いざ行かん、買い物日和！

　寝ぐせのついた髪を窓から射し込む朝の光の色に染めて、
「いやいや、快晴だね」
　と、柏村文也は黒の双眸を細めた。そうして、
「こんな日は、店を開けてる場合じゃあないね」
　なんて、暢気な声で零して窓辺を離れる。
　ふわと、収集している本達の、古書独特のどこか甘いような香りが鼻腔を擽った。
　自然、口元がゆるりと弧を描く。
「そう、今日は古本市をやっている日でもあることだし……」
　これだけ条件が揃った買い物日和に、出掛けないという選択肢があるだろうか。
　いや、ない、と、文也は胸の内に断じるのである。
「よし、今日は休みにしよう。新しい本との出会いを求めて、いざゆかん古本市！　ってね」
　そして、出掛ける準備を整えた文也は早速目当ての古本市へと。
　芳しい本の香りを胸いっぱいに吸い込んで、文也は緩く相好を崩した。
　見渡す限りの本の海は、文也の胸をふわふわと心地良く弾ませる。
（掘り出し物があるといいなあ）
　瞳に子供のそれのような煌めきを乗せて、文也はふらふらと古本市を回った。
　棚に並ぶ様々の背表紙へと、優しく撫でるように指先を走らせる。
（これは持ってる。こっちは、店に置いてるよなあ）
　という具合で、古本市を満喫しつつも、文也は財布の紐を固く……していた、のだが。
「こ、この装丁は……！」
　ある本を手に取った途端、思わず、声が零れた。
　初老の店主が、面白い客を見つけた、というふうに嬉しげに口の端を上げる。
「おっ、あんた、わかるかい？」
「そりゃあ、わかるとも！　これは、初版本だよね。大したお宝だ。言い値で買おう」
　いくらだい？　という具合で、購入は本当に微塵の迷いもない即決。
　お宝を発見したのだから仕方がない、と、ひとたび財布の紐を緩めたが最後。
　文也の財布の紐はしゅるしゅるしゅる、とあっという間に解けていった。
　古本市を巡れば巡るほど、文也の財布は軽くなっていく。
「おお、この本は絶版になったあの！」
「ああ、その本。是非にと薦めたいところだが、ちと値が張ってねぇ……ほら」
「ええっ、むしろこの額でいいのかい？　買う買う！　買うよ、私が買う！」
　そんなことが幾らも続いて、気付けば両の手を塞ぐは本の山。
　すっかり高く陽が昇った頃、文也は古本市の賑わいを後にした。
「いやぁ、ついつい買ってしまったなあ」
　呟いた声は伸びやかで、けれど腕に感じる重みに、文也は少し首を傾ける。
（……ちょっと買いすぎただろうか？　いやしかし、本との出会いは一期一会だからね）
　なんて調子で、我が身を省みかけたのはほんの一瞬のこと。
　ふと、そんな文也の傍らを中学生くらいの少年が通り過ぎた。
　急ぎ足の彼は、どうやら古本市へと向かっているらしい。
「いい出会いが、あるといいねぇ」
　のんびりとして機嫌良く、文也はひとりごちる。
（財布が薄っぺらになるのだって、本との出会いの場ではまた一興、ってね）
　沢山の本と殆ど空になってしまった財布を携えて、文也は揚々と家路を辿った。

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