(前書き)
【時期】らっかみタイム六月ごろ
【要約】五十嵐さんところで懐中時計買いました
【3】
先ほど不意を突かれた衝撃が残っていたのか、時雨はこの返答にはさして不快感を感じることもなかった。
ようやく撮ることをやめた三ヶ島が、ふと視界に入った棚に置かれた商品から一つ。銀の懐中時計を手に取った。
ぱかっと子気味いい音を立てて蓋が開くが、中は壊れた時を封じて止まっている。
それが何か、彼女の気に入るような要素があったらしい。
三ヶ島は時雨の元へ歩み寄り、その眼前にぐいっと懐中時計を差し出した。
「これ、いくらぐらいかなー?」
元々値札の貼ってないそれにどんな値がついていたのか。
そもそもあったことすら忘れかけていた時雨は覚えている限りの記憶を引き出し始めた。苦い顔で誤魔化しながら。
三ヶ島はにこやかに笑っていた。笑い続けていた。
そして、思い出した時雨は笑っている少女の疑問に答えるべく口を動かした。
「あ、ああ……それな。ぶっちゃけジャンク。引き取った時は動いてたんだが、買い手がつく前に壊れちまって」
高そうに見えるけどこれくらいらしい、と時雨は指を五本立てて三ヶ島に見せた
五千円とでも言うつもりらしい。
高校生から見れば充分高いが、骨董品の中では安い部類なのだろうか。
三ヶ島はすぐさま鞄から財布を出して手持ちを確認した。一応、あるにはある。
「持ってるけどー。……これでいいのかなー」
「まあな。にしてもなんでんなもん買ったんだ」
包装をしている時雨からつけられた思わぬツッコミに、うーん……と、固められた表情を少し困惑にシフトさせたものに修正して、三ヶ島は返答する
「今日の記念に、かなー?」
「おう、そうか」
包装をしながらなのか、今度は時雨が適当な返事をする手番。
三ヶ島のんんー、っていう適当な返答を聞いた後。
時雨は店員としては些か乱暴な様子で三ヶ島にそれを突きつけた。
それをされた本人はとくに気にすることもなく、包まれた懐中時計を受け取った。
「取材許可どうもありがとなんだよー。これでいい記事が書けそうなんだよー」
そして、いつものあの顔でじゃあねー、と戸を閉めて三ヶ島は去っていった。
客人の消えた店内にはどこか落ち着かない雰囲気が残る。時雨は、誰も居なくなった店内を見回した。
未だそこに残る骨董品全てを鑑定できるほどの知識は彼女には無い。
が、彼女、そして彼女の名を冠するこの骨董屋の未来は、そう暗くはないのかもしれない。
……ということなど微塵も思わない時雨は、レジの中に受け取った五千円札を滑り込ませた。
【2】
旧市街の表通りから少し外れた、寂れているようにも思える場所に骨董屋『時雨』はあった。
ほんとうに時雨という名前だったのかと三ヶ島は驚くが、それを口に出すとせっかくの取材が流れる可能性もある。
コレは、店内に入るまでは飲み込んでいた。
ほかの店に比べると些か小ぢんまりとしすぎているように思えるのは、おそらく両隣が比較的大きい建物だからなのだろうと、自分を納得させる三ヶ島。
時雨はじいさんを説得してくるからと三ヶ島を店先に立たせたまま中に入ったきり戻ってきていない。
「まったく、客を雨の中待たせてよくやっていけるよー」
「そりゃあ悪かったな」
「あ、戻ってきたんだねー」
うい、と返事の代わりに引き戸を開けて『時雨』の中に招き入れられた。
ややガタついた戸の閉まる音を後ろで聞きながら、白熱灯の明かりで仄かな橙色になっている店内を歩く。
骨董屋にはそぐわないブラウン管のテレビやレトロな洗濯機が転がっていることに三ヶ島は驚きつつ、それらをフィルムに収めていく
「リサイクルショップみたいだねー」
「だろ。最近は需要も少なくなってきたからな、じいさんも必死なんだ」
ふうん、と所在なさげな返答に時雨は少しむっとした顔つきになる。
写真を撮るのに夢中になっているのか、今度は気付かないまま三ヶ島は質問を続けた。
「そういえば、じいさんって言ってたねー。五十嵐くんのご両親はあとを継がなかったのかなー?」
「向いてなかったみたいだ。母さんはそういうのとは無縁だし」
今度は相槌すらなく、カメラのシャッター音が代わりに静寂を打ち消している。
五十嵐は苛立ちを覚えながらさらに眉間の皺を深くした。
無視されているところに少々の憤りを感じているのだろう。それにも三ヶ島は気付かないでいた。
……それから幾ばくかの間をあけて、んーと気の抜けた音を前置きにしてから三ヶ島は本題を切り出した
「五十嵐くんは?」
あぁ?ととうとう苛立ちがこぼれてやっと気がついたのか、三ヶ島はあー、ごめんねーと軽快に発してから嘯いた。
「五十嵐くんは店を継がないのかなー?って思ったんだよー」
この一言で、その場が静止する。
誰も言葉を発することなく、断続的な雨の音だけが場のアクセントとして機能していた。
口を開いては閉じを繰り返していた時雨が、やっと開いた口から音を搾り出す。
「……わかんねぇ」
「んんー?」
「わかんねぇや、正直」
そっかー、と三ヶ島はまた気が抜けた返事を返した。
【1】
寝子島高校の前を走る道路では、制服姿がずらりと各々お気に入りの傘を差して大行進。
頭上には嵐というほどではないほどのフツウな雨が降り注いでいた。
中途半端な潤いでじっとりとした、嫌な空気が辺りに充満している。
春から夏にかけての暖かいとも言えず暑いとも言えない気温も、嫌な空気に加担していた。
流れる汗と降りかかる雨水のせいで張り付いた襟元と肌を引き剥がしつつ、帰路についている者も居る。
その景色の片隅。島を耳から顎までなぞるように、つうっと伸びる寝子島街道の一部分にて。
「五十嵐時雨くんかなー?」
「あ?」
後ろから突如かかってきた声に、五十嵐時雨と呼ばれたサイドテールの少女は刺々しい態度で応じた。
振り向いて目に入ったのは彼女と同じ様に傘を差した、長く伸びたサイドの髪ともみあげが印象的な少女だった。
ふと視点をずらすと制服の襟元に留まっているのはリボンでなくネクタイだということがわかる。
しかし定められた規則に対する違反の程度は時雨のほうが上であり、故にその着こなしをどうこう言う権利は時雨にはなかった。
少女はスカートを翻しながら時雨との距離を縮める。
「新聞部の三ヶ島だよー。今ちょっと地域をテーマに記事を書いてるんだよー。私は旧市街の分担になったんだけどー」
取材に協力してくれないかなー?と、少女は簡素に要件を告げる。
三ヶ島、と聞いた時に時雨の眉がピクリと動く。
それを観察し、その動きの理由と固まった表情の下にある感情を読んだ少女はさっと自分にフォローを入れた。
「身体測定の時のアレは非公式での活動だよー。今回は公的な活動だからー、変な記事にはしないつもりだよー」
変な記事にはしない。公的な活動。
それを聞いても尚時雨が向ける視線は変わらないが、溜息を吐いた時雨の口から出た言葉は最初よりは柔らかくなった。
……ように思える。
「絶対変な記事書くなよ」
「それはわかってるんだよー!」
そうして、返事を聞いた三ヶ島はにんまりと口元を歪ませた。
へらへらとしていて読みにくい、三ヶ島の得意とする……得意どころではなく、普段の、標準の顔だ。
無理やり作り上げたとも見えるそれに、薄気味悪いという感想を持つものもいるにはいる。時雨がそうだ。
だが、それをわざわざ伝えることもない。
時雨は踵を返して進み、三ヶ島はそれを追いかける図がその場に出来上がる。
そしてその図は時雨の自宅……こと、骨董屋『時雨』に至るまで続いていた。