1
深い深い闇に空が覆われた、深夜の猫鳴館。
この寮に住む個性的な面々も今夜は眠りについたのか
猫鳴館は一時の静寂に包まれている。
花風冴来はその寮にある自室で独り、
カーペットが敷かれた床に座り込んでいた。
普段小さな、時には物騒な悪戯を考えては
クスクスと不穏な笑い声を零す
彼女も、今は寂しげな表情を浮かべている。
普段騒がしいこの寮に不意に訪れる静寂が、
冴来はとても嫌いだった。
孤独な部屋の中、昔の
辛く悲しい記憶が頭の中で蘇る。
何一つ不自由のない裕福な生活。
他者からみれば幸せに見えたのかもしれない。
だけれど、ずっとずっと、寂しかった。
愛する両親がいつも傍にはいなかったから。
「ごめんね。大丈夫。貴女は強い子だから。」
そんな言葉と共に、頭に置かれた手のひらの温度を懐かしく想う。
もう一度それを感じたい、と強く願う。
だけれどそれはもう叶わない。
愛する二人は冴来一人を置いて、遠く空の上へ旅立ってしまったから。
傍にいて欲しかった。
ずっと、ずっと。
それさえ叶うなら綺麗な服も、
美味しい食事も、何も、何もいらなかったから。
2
「私、強い子じゃ、なかったよ?
ずうっと一緒に、いて欲しかったの…。」
ぽつり。
普段の高飛車なお嬢様ぶった演技を忘れ
呟いた言葉が静寂に溶けて消える。
明日は学校だ。眠らなくては。
そんな意思とは反対に目は冴えていく一方で
それが癒えない寂しさが原因だと冴来は気づかない。
ただ、義妹と一緒の日々の中では
眠れていたのにとぼんやり想う。
大切な大切な、最大限の努力をして手に入れた
傍にいてくれる、大好きな家族。
愛しい、自分だけの妹。
夜、眠る間だけあの子の待つ家に帰ろうか。
そう考えたこともあったけれど、結局やめた。
今は上手く笑える自信がないから。
時々は虐めてしまいたくなるけれど、
可愛くて可愛くて、仕方のない妹。
うっかり弱音を吐いて、心配をさせたりはしたくない。
私は、強い子だから。
あの子の前では、強くて優しい、
誇れる姉でいなくてはいけないから。
傍にいてくれる愛しい妹。
その関係もいつまで続くだろうと冴来は静かに恐怖する。
弱々しく、自分を求めて泣いてばかりだったあの子も
他人に心を許し、自分と二人きりの日常から
外へ外へと世界を広げていってしまっている。
ずっとずうっと、自分だけといて欲しいのに。
いつ迄も私だけを想っていて欲しいのに。
いや、そうでなくても、あの子が記憶を取り戻してしまえば
この関係もあっさりと終焉を迎えてしまうことだろう。
それを思うと、胸が押しつぶされる様に感じた。
3
「でも、変わっていくのは、私も同じかもしれないね?」
冴来がそっと小さく首を傾げると
長い金糸の髪がつられてさらりと流れる。
次に思い返すのは、この寮に移り住んでからのこと。
騒ぎばかりが起こると聞いてやってきたのに
存外に静かで拍子抜けしていた頃に現れた、
大きなウツボカズラ。
それを燃やして仕舞おうと、
自分と共に暴れまわった小さな少年のこと。
楽しかったなあと、思う。
残念ながら、完全に燃やしきれはしなかったけれど
普段自分に冷たい態度をみせる彼も
あの時は一緒にいてくれた。
楽しかった。
その後で寮の自治会長にこっぴどく叱られ
不機嫌になりはしたけれど、今思えばそれも嬉しいと感じる。
今迄悪戯をしても、そんな風に叱られることなんて、なかったから。
妹が、また一緒に暮らしたいと願っていることは知っている。
けれど、もうこの寮から離れることは出来ないと冴来は思う。
だって、一緒に悪戯をして遊んでくれる子がいるのだから。
だって、そのあとに叱ってくれる子がいるのだから。
「でもね、もも。大好きなの。
ずうっとずっと大好き。愛してる。
何処にも、行かないで欲しいの。
誰よりも、もものことを愛してるから。」
大好き。愛してる。
繰り返すその声は祈りにも似た響きを張らんでいた。
どうか私を愛していて。
離れて行かないで。そばにいて。
小さな少女が甘えてすがる様な、
そんなひたむきさが込められた心からの願い。
コケコッコー!
静寂が突如、外から響く大きな鳴き声に打ち壊される。
弾かれる様に窓の外をみると、あれだけ濃かった闇に
白の色が滲み始めていた。
鶏は大嫌いだと、冴来は夜明けの空を睨みつけ苛立つ。
いつもこうして、騒々しい鳴き声と共に、
望みもしない明日を連れてくるから。
世界が、永遠に止まってしまえばいいのに。
そうすれば誰も、誰も離れていったりはしないのに。
いつか絵の具をあの体に塗りたくってやると
愛用する絵画セットに冴来は目を向ける。
そうすればこの苛立ちも、少しは緩和されるかもしれないから。
4
「会いたいなあ…。」
そっと目を閉じ、休息を得られずくらつく頭で
愛しい義妹の笑顔を思い浮かべる。
姉様と呼ぶ甘い声、ずっと一緒にいられたら素敵だと
伝えたときに向けられた愛らしいあの笑顔。
そうだ、今日は一緒に学校へ行こう。
早めに準備をして、私達の家まであの子を迎えに行こう。
きっと驚くだろう、けど、あの子は直ぐに笑って
自分の手をとってくれるだろう。
だって私達は、仲のいい姉妹だから。
「大丈夫。ちゃんと笑えるよ。
私は強い子。お姉ちゃんだもの。」
幸せな情景に想いを巡らせ冴来は
ー大切な宝物、義妹から贈られた黒猫の縫いぐるみを、そっと抱きしめた。
(緑の進撃・猫鳴館の乱
http://rakkami.com/scenario/guide/237
森繁美術館に行こう
http://rakkami.com/scenario/guide/245
後)