1
深い深い闇に空が覆われた、深夜の猫鳴館。
この寮に住む個性的な面々も今夜は眠りについたのか
猫鳴館は一時の静寂に包まれている。
花風冴来はその寮にある自室で独り、
カーペットが敷かれた床に座り込んでいた。
普段小さな、時には物騒な悪戯を考えては
クスクスと不穏な笑い声を零す
彼女も、今は寂しげな表情を浮かべている。
普段騒がしいこの寮に不意に訪れる静寂が、
冴来はとても嫌いだった。
孤独な部屋の中、昔の
辛く悲しい記憶が頭の中で蘇る。
何一つ不自由のない裕福な生活。
他者からみれば幸せに見えたのかもしれない。
だけれど、ずっとずっと、寂しかった。
愛する両親がいつも傍にはいなかったから。
「ごめんね。大丈夫。貴女は強い子だから。」
そんな言葉と共に、頭に置かれた手のひらの温度を懐かしく想う。
もう一度それを感じたい、と強く願う。
だけれどそれはもう叶わない。
愛する二人は冴来一人を置いて、遠く空の上へ旅立ってしまったから。
傍にいて欲しかった。
ずっと、ずっと。
それさえ叶うなら綺麗な服も、
美味しい食事も、何も、何もいらなかったから。
3
「でも、変わっていくのは、私も同じかもしれないね?」
冴来がそっと小さく首を傾げると
長い金糸の髪がつられてさらりと流れる。
次に思い返すのは、この寮に移り住んでからのこと。
騒ぎばかりが起こると聞いてやってきたのに
存外に静かで拍子抜けしていた頃に現れた、
大きなウツボカズラ。
それを燃やして仕舞おうと、
自分と共に暴れまわった小さな少年のこと。
楽しかったなあと、思う。
残念ながら、完全に燃やしきれはしなかったけれど
普段自分に冷たい態度をみせる彼も
あの時は一緒にいてくれた。
楽しかった。
その後で寮の自治会長にこっぴどく叱られ
不機嫌になりはしたけれど、今思えばそれも嬉しいと感じる。
今迄悪戯をしても、そんな風に叱られることなんて、なかったから。
妹が、また一緒に暮らしたいと願っていることは知っている。
けれど、もうこの寮から離れることは出来ないと冴来は思う。
だって、一緒に悪戯をして遊んでくれる子がいるのだから。
だって、そのあとに叱ってくれる子がいるのだから。
「でもね、もも。大好きなの。
ずうっとずっと大好き。愛してる。
何処にも、行かないで欲しいの。
誰よりも、もものことを愛してるから。」
大好き。愛してる。
繰り返すその声は祈りにも似た響きを張らんでいた。
どうか私を愛していて。
離れて行かないで。そばにいて。
小さな少女が甘えてすがる様な、
そんなひたむきさが込められた心からの願い。
コケコッコー!
静寂が突如、外から響く大きな鳴き声に打ち壊される。
弾かれる様に窓の外をみると、あれだけ濃かった闇に
白の色が滲み始めていた。
鶏は大嫌いだと、冴来は夜明けの空を睨みつけ苛立つ。
いつもこうして、騒々しい鳴き声と共に、
望みもしない明日を連れてくるから。
世界が、永遠に止まってしまえばいいのに。
そうすれば誰も、誰も離れていったりはしないのに。
いつか絵の具をあの体に塗りたくってやると
愛用する絵画セットに冴来は目を向ける。
そうすればこの苛立ちも、少しは緩和されるかもしれないから。