財布が落ちている！？｜リアクション

財布が落ちている！？

　ダブルベッドで朝鳥さゆるは目を覚ました。ぼんやりとした目で天井を見ている。
「……ここはホテルね」
　気怠そうに上体を起こす。掛布団はずり落ちて半裸の状態になった。何気なく隣に目を向ける。シーツには皺が寄って浅い凹みが出来ていた。一夜を共にした相手はすでにいない。
　さゆるは枕元に置いたスマートフォンを手に取った。午前八時半の表示に目を伏せてベッドから下りた。
　直行した浴室でさゆるはシャワーを浴びた。胸や股間を適当に洗って数分で出てきた。大雑把にバスタオルを使うと少し湿った素肌に拾い集めた衣服を纏う。
　さゆるは部屋を見渡した。目にしたサイドテーブルに足を運ぶ。
「彼の財布、じゃないわね」
　赤い二つ折りの財布を手に取り、中を開いてみた。
「少しは入っているのね」
　現金の他には紙切れが収まっていた。暗号めいた文字を目にした瞬間、さゆるはスマートフォンに寝子島の地図を表示させた。三夜湖を中心に目を通していく。
「場所は分かったわ」
　薄手のジャケットのポケットに財布を収める。チェックアウトの時間を待たずに部屋を後にした。

　シーサイドタウンのホテルを出ると、さゆるは星ヶ丘の駅に向かった。閑散とした電車に揺られ、寝子島駅で降りた。
　旧市街の中を突っ切って今度はロープウェイに乗車した。朝方の平日が幸いしてゴンドラは貸し切り状態であった。
　さゆるは両腕を組んだ状態でドアにもたれた。九夜山の頂上を漫然と眺める。
「今日のあたしは、どうかしてるわ」
　薄く笑って終点の展望台前で降りた。さゆるは道の先に目を向ける。頂上の展望台は見えなかった。
　山道には不向きなブーツで山道を歩く。少し息が切れた。右手に大きく曲がると目の前の視界が開けた。
　道なりに傾斜を上がっていくと大きな朱色の野点傘が見えてきた。横長の床机には銀色の髪の油屋銀が着物姿で座っていた。展望台の眺望に心を奪われているのか。横向きの姿勢を崩さない。
　さゆるは息を整えてから近づいていく。
「一番乗りですね。まずは座って一服してください」
　先に声を掛けたのは目を細めた銀であった。さゆるは言われるままに腰掛けた。赤い布の上には紅茶と思われるカップが置かれていた。淹れ立てを主張するように白い湯気を燻らせている。
「冷めない内にどうぞ」
「その前に返しておくわ」
　さゆるは赤い財布を傍らに置いて手で押しやった。銀は笑ったような表情で中間の位置に押し戻した。
「これはあなたへのプレゼントです。気に入らなければ置いていっても構いませんよ」
「落し物がプレゼントになるのかしら」
「ちゃんとサイドテーブルに置きましたよ」
　さゆるの表情が動いた。立ち上がってシーサイドタウンの方を眺める。昨晩に泊まったホテルを目にすることは出来なかった。
「朝食を用意しました。サンドイッチですが、よろしいですか」
「……いただくわ」
　さゆるは座り直した。言葉の通り、いつの間にか朝食が用意されていた。竹で編まれた丸い皿の上には四角い和紙が敷かれ、その上には開いた扇の形でサンドイッチが重ねられていた。
　紅茶で喉を潤して一つを摘まんだ。長方形の一端を齧ると小気味よい音がした。
「味の方はどうですか」
「悪くないわ。それもお見通しなのよね？」
「そこまで万能ではありませんよ」
　銀は朗らかな声で返した。さゆるは追求することなく、サンドイッチを口に運んだ。頂上から見える眺めに目が自然と優しくなる。
「……たまには、こんな日があってもいいわね」
「恐れ入ります」
　どこか弾むような声で銀は言った。

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