隙間屋・今鯛はその後ますます、大変な繁盛となった。
「おわー、なんというトリックだよ、君ぃ！」
　などと声を上げている変な人、ちょっと裏声っぽい発声の少年は、やっぱり鷹取洋二なのである。
　洋二の言う「なんというトリック」とは、飾ってあるカボチャや店先をトイレットペーパーでぐるぐる巻きにするという刑罰であった。ところが悲惨なことにちょうど水を撒いたばかりとかで、店先は紙がぺったり張り付いて大変なことになっている。
「知らないのか！？　納豆にネ……じゃなくて、トイレットペーパーに雨とかついて濡れると取れにくくて一番最悪なんだぞー！」
　ひいー、と涙ながらに身をくしゃくしゃにしてもだえる洋二は、正直言ってかなりのオーバーリアクションなわけだが、確かにこのトリックつまりイタズラが、店にとって迷惑っぽいのは事実であろう。
「いやあ、ははは、それは失礼」
　と語るのはヴァンパイアである。それも、赤い襟を立てたヴァンパイアである。

　鴻上 彰尋であった。なお彼は、幼い弟と妹の手を引いている。幼い二人とも、ちゃんとヴァンパイア仮装をしているので、ヴァンパイアきょうだいといったところだ。どうも洋二の過剰アクションも、幼い二人を喜ばせるためにあえてやっている可能性がある。（といっても洋二のことだから、素でこれの可能性もあるわけだが）
「でも、どんなイタズラがあるのか調べてはみたものの、流石に生卵は俺が許さない……あ、これ主夫としての発言です」
　彰尋はそう言って洋二をなだめようとするのだが、
「ひいいい、たい焼きを人数分上げるからもう勘弁してくれたまええ！」
　洋二はまたオーバーアクションで涙を流し、くねりながら彰尋ら三人にたい焼きを手渡したのである。
「あと、まいどありまた来てくれたまえー！」
　変人だが、仕事はちゃんとこなす。それが洋二、できる男である（そうか？）。
「やれやれ、楽しかったけど、ちょっと可愛そうだったかなあ」
　と、ホクホクのたい焼きを味わいながら彰尋は言った。一応、去り際にペーパー剥がしも手伝ったのでまあイーブンであろう。
　するとその途上、
「…………」
　ただならぬ様子で周囲を睥睨（へいげい）している青年を彰尋は見つけた。
　睥睨、という物騒な表現を使うのは、どうにも彼の目つきが、抜き身のナイフのように鋭かったからである。大抵の人にとっては、声をかけるどころか、うっかり道ばたで肩をぶつけるのだって遠慮したいタイプの目力がある。眼鏡をかけているのだが、その眼鏡も、彼の眼光を弱める役にはまるで立っていないようだ。
　髪は長いようだが頭のところで縛っており、ハンチング帽を目深に被っている。場所が場所ならダフ屋とか予想屋と言われるたぐいの人種に見える。
　ただ、その彼が、なにやら力なくため息をついていることを彰尋は見逃さなかった。
　大抵の人なら避けるタイプの青年と、先に書いた。
　されども彰尋は、大抵の人と同じではない。
「誰かお探しですか？　それともなにか落としました？」
　おっ、と救われたような顔を青年は見せた。こうして見ると、彰尋と比べてそれほど歳上ではなさそうだ。いやむしろ、同年代の少年のようでもある。
「すまん、人を探している。吸血鬼の衣装を着た、これくらいの小さい女の子で、日本人じゃないから印象に残るほうだと思うんだが」
　申し訳なさげな口調なので、これが彼の、せいいっぱいの丁寧な言い方なのだろう。
「なるほど吸血鬼ですか……しかし、ご覧の通り我々も吸血鬼、実はこの扮装は最もポピュラーなものの一つのようですから目立つ特徴とは言いづらいですね。それともともと、寝子島は留学生が多く、今日はしかも外国からも観光客が集まるというイベントなのでその手がかりも弱いような……」
「さすが地元の人、実は我々寝子島についたばかりなんで……」
　地獄に仏を見たとばかりに、彼は自分と連れのことを語った。
　まず、名は夜海霧 楓といい、寝子島高校の一年生として入学したばかりの16歳だという。
「なんだ、俺も１年で鴻上彰尋と言うんだ。同じ学校、しかも同学年のよしみだ。本格的に手伝うよ」
「助かる……で、連れはトワ、トワ･E･ライトフェロゥってんだ。10歳だ。あのお嬢……まあ、どっちかってっと『ちびすけ』だな……ともかくそのお嬢（と書いて、以下、彼の発言に限り『ちびすけ』と読むものとする）、仮装したいってんで着替えさせたら、俺が衣装屋に金払ってる間に消えちまった。当然土地勘はねーはずだ、どこほっつき歩いてやがんだ……ったく」
　そのトワという娘と楓の間には、どうも一言では表現しきれない関係があるようだ。しかし彰尋はそこには立ち入らないでおく。
「少なくとも、今回トワの目的はわかっている。お菓子を配っている人に聞けば手掛かりはつかめるはずだ」
　まだ隙間屋・今鯛の店内は見ていないと楓は言う。彰尋はさっき出てきたばかりで該当する姿は見ていないものの、中で情報を集めておくのは無駄では無いと思う、と提案した。
「夜海霧さんも大変なんだなぁ……しかも寝子島に来たばかりだというのに。俺もまだ会場を回る予定だから、行く先々でその、トワって子を探してみる」
　人事とはどうしても思えず、彼は楓と連絡先を交換した。
「本当にすまない……礼は必ずさせてもらう」
「礼なんて必要ない。困ったときはお互い様さ。それじゃ夜海霧さん、なにかあれば連絡するから」
　そうして別れる。楓はさっそく、隙間屋・今鯛に入ったようである。鷹取洋二は変人ではあるが、頼んで大丈夫な人であると、彰尋はあらかじめ楓に太鼓判を押しておいた。
　小さな子どもに振り回される大変さは、彰尋も理解しているつもりだ。なにせ今日、トイレットペーパーのイタズラをせがんだのは、他ならぬ弟と妹なのだ。立場上、彰尋は全部自分の発案であり責任であるとした。鷹取洋二があのとき真剣に怒らず、「ひいー」などと大袈裟なアクションを見せてくれたのは、「わかってるよ」という彼なりのメッセージの発し方だったのかもしれない。
　……といっても洋二のことだから、真実のほどは判らないが。

　その頃、鎌八まもる（カウボーイ）と響タルト（ポニーテール魔法少年）も『隙間屋・今鯛』にたどりついていた。
「やあー、響くんじゃないかー」
　来客が絶えることがないため超絶忙しいであろうに、それでも鷹取洋二は、タルトを見て喜んでくれた。
「来てくれて嬉しいよ。さっそく、合言葉が聞きたいねえ」
　するとタルトは胸を張って、
「トリック・アンド・トリート！　僕はお菓子もいたずらも両方がいいな♪」
「あっはっは、イタズラは勘弁だなあ。でも、その手に持っているのはなんだい？」
「さすが先輩！　お目が高い！」
「オメガ高い？　オメガって小文字で『ω』って書くとなんとも可愛いよねえ。ほらあの記号だよ、笑ってるみたいで」
「いえそうではなくて……」
　やはりピントのずれている先輩だ。まあそれがいいところでもあるのだが。
　さっとラブレターを渡すみたいなポーズで、タルトはこれを洋二にさしだした。
「実はこれ、お菓子のお礼に持ってきたBL同人誌なんです！　ハロウィン向けにスウィートなお話にしてみたよ☆後で感想聞かせてくださーい」
「おおそうかいそうかい、ありがとう。楽しみにしておくよ」
　ちなみに洋二は、BLには全然抵抗がないという。むしろ積極的に読んだりもする。
「じゃあたい焼きね。はいどうぞ。彼氏のカウボーイくんも」
　この言葉に飛び上がったのはまもるだ。
「いや！　オレ、にゃんこたんの彼氏とかじゃなくて、ただのポニテ好きの知り合いです！」
「うん、ムッシュくんはポニテ好きの知り合いだよ」
　二人、間髪入れずにそんなことを言うのでさすがの洋二も、
「そ、そうかい……うん、知り合いね。知り合い同士仲良く食べてよ」
　と当たり障りのないことを言って彼らを送り出すほかなかった。
「けど、付き合ってもない同士が、『にゃんこたん』とか『ムッシュくん』とか呼び合うものなのかなあ……？」
　腕を組み、ちょっと考え込む洋二なのだった。
　それは秘密、なのだ。