さてこのとき吸血鬼ジェレミア･ベルトーニは、ライバルとすれ違っていた！
　……と書くとさすがに大袈裟か。
　要するに、ヴァンパイアハンターの仮装に身を包む、滝原 レオンとすれ違ったということだ。

　――お、またヴァンパイア発見。
　なんて内心、レオンはくすくすと笑っている。この服装を選んだおかげで、ひそかに吸血鬼系のコスプレとすれ違うのが楽しかったりする。まあ、ちょっとしたお遊びだ。ヴァンパイアハンターのほうが格好いいし、他と被らないと思ってレオンはこの、黒い長衣に身を包んだのだった。
　さてライバルと出会った以上、声をかけておくのも礼儀といえようか。
「ハッピーハロウィン、楽しんでるかー？」
　レオンはジェレミアに呼びかける。吸血鬼伯爵ジェレミアも、
「ええ、ハッピーハロウィン！」
　と楽しげに手を振り返してくれた。
　こういうのも悪くないと思う。今日がいわゆるハレの日だからだろうか。
　普段、レオンはもう少し、いや、もっとずっと、引っ込み思案な性格である。不良を自称してはいるものの、実際のところはそう言っていれば、他人が自分を避けてくれると知っているからのふるまいであって、別段レオンは、そうした世界にはあまりシンパシーを感じていない。
　理由の根幹には彼の銀色の髪、そして目つきの悪さがあった。
　いずれも生来のものであって、レオンがみずから選び取ったものではない。けれどもこの、個性尊重と口ではいいながら、底流ではまぎれもなく同質性を求める社会においては、レオンのこの姿はどうしても浮いてしまうのだ。何もせずとも浮いて恐れられて避けられるのであればいっそのこと、自分から『不良』を名乗って孤立を選び取ったほうが、もっとずっと精神的には楽だ。
　しかし今日だけは違う。
　外に出たレオンの前には異世界が広がっていた。
　銀色の髪など、別段珍しくもない。目つきが悪い？　サイバーゴーグルを付けている少年、昆虫みたいな複眼のおじさん、三ツ目の少女なんかがぞろぞろ歩いているというのに、そんなことを気にするほうがおかしい。
　言ってくるよ、と祖母に言い残して家を出たとき、もうレオンは小走りになっていた。
　そうして彼は、周囲の人たちに声をかけたり仮装を称え合ったり、とりわけ吸血鬼コスの人とは親しげに挨拶をかわしたりして、解き放たれたような気分を味わっているのである。ずっと。
　毎日がハロウィンであってくれればいいのに！
　このときふと、レオンの目が一人の女性にとまった。
　大人の女性だ。レオンより数歳は年長だろう。単身訪れたように見える。鳥肌が立つくらい綺麗な顔立ちだった。
　けれど違和感があった。強烈な。
　彼女はこんな浮かれ気分のイベントに、しかも仮装して来ているといいうのに、なんだか顔つきが沈んでいるのだ。茶色の瞳はまるで、親族が死んだ夜に海を眺めているかのような色をたたえていた。

　違和感はその表情にとどまらない。
　なんというか彼女には、現実味がなかった。
　あれがなんという服装なのかレオンにはわからない。強いていうなら、軍服ワンピースというものになるだろうか。軍服の機能美にゴスロリの要素を加えたもののようである。アニメかゲームのコスプレなのかもしれない。
　服装は彼女によく似合っていた。長身で、整いすぎた硬質な美貌であるため、透徹した美しさが際立っている。エッジの立った美とでもいおうか。抜き身のナイフのようでもある。
　彼女にうかつに声をかけたりすれば血を流すことになるのではないか――そんな予感すらレオンは覚えた。
　けれども、
「よう、お前なーんか乗り気じゃなさそうだな？」
　気がついたときにはレオンは、彼女……朝鳥さゆるに声をかけていた。
　さゆるは体全体ではなく、視線だけをレオンに向けた。
「……そうかもしれないわね。きっとあたしは半分死んでる」
　あまりに唐突なその言葉に、レオンは二の句が継げない。だがようやく、
「死んで……って、普通じゃない、ってことか」
　さゆるは直接、そうだとも違うとも言わなかった。ただ、
「そういう日なんでしょう？　今日は」
　とだけ言い残して、さゆるは彼の前から立ち去る。
　待ってくれ――そう呼びかけるべきかどうかレオンは迷った。ただ彼女が美人だったからではない。こわれもの、そんな言葉でまとめたくなるような危なっかしさが彼女にあった。ここで呼び止めないと、そのまま道を外れて断崖に身を投げそうな雰囲気が。
　けれどそこまで立ち入れるものではなく、またそうすべきでもないだろう。
　だからレオンはその言葉を引っ込め、かわりに彼女の背に、こう呼びかけるにとどめた。
「せっかくのお祭りなんだ、楽しまなきゃ損だぜ？　な？」
　わかった――そう言うかのように彼女が軽くうなずいた、ように見えた。
　写真だけでも願い出ても良かったかもしれない。それくらい彼女は絵になった。けれどすぐにレオンは思い直す。今の彼女のはかなさは、どんな高性能カメラでも写しおけるものではないだろう。
　さゆるの心にも、ほんのわずかさざ波が起こっていた。
　楽しまなきゃ損だなんて、不思議なことを言うものだ。もう今のさゆるには、損得の感情など残っていない。
　……けれども彼の言葉に、それ以上の意味はないものらしい。
　もし銀髪の彼が男の下心、すなわちナンパそのものの姿勢で近づいてきたとしたら、むしろさゆるは乗ったかもしれなかった。途中の面倒な過程を省いて肌を許し、肉欲だけで感情のない、いつものような一晩を過ごしてあげてもよかった。
　それが、「楽しまなきゃ損だぜ？」の一言で終わりだなんて。
　さゆるはふと足を止めていた。振り返って、銀髪の彼の姿を探した。
　彼女は気まぐれに、名前くらいは聞いておこうと思ったのかもしれない。
　けれどそこにはもう、彼……レオンの姿はなかったのである。

「ハロウィン……ハロウィンか。……行くしかあるまい」
　そう言って重い腰を上げたのは、伊織 源一であった。
　いやごめん、重い腰ではなかった。言葉使いが重々しいだけで、その実体はむしろノリノリであった。
　なぜなら源一は、家を出るやすぐに、貸し出しの衣装屋に向かったからである。その様子はまるで、レニングラード包囲戦に参加した枢軸軍の戦車だ。お菓子がもらえるのだ。躊躇しているわけにはいかない。
「頼もう……」
　道場破りにでもなった心境で、そう告げて衣装カタログを繰る源一の姿は、巌流島に向かう宮本武蔵さながらに真剣ひとすじな表情であった。
　カタログである程度の目星をつけると、源一は倉庫に入った。ごそごそと漁る。
　源一の場合、どんな仮装でもOKとはいかない。
　並外れた体格の彼故、まず「自分が着られる」ということが第一条件である。
　それでいてインパクトも気にしたい。
　せっかくなので、思い出に残る衣装を着たいものではないか。
　そんな難しい条件で探しながらも、
「む……これは……！」
　源一は、たどり着いた。たどり着いたのだ！
　自分の衣装に。
　無言でうなずくと源一はさっそく、この着ぐるみに袖を通した。サイズも、奇跡的にぴったりではないか。

　せっかくのハロウィンなので……ということで、月守 輝夜はうさぎの仮装を選んでみた。
　長くて白い耳、これを海風にゆらゆらさせて歩くパレードは楽し、である。
　とはいえちょっと心配なのは、これが自分に似合っているかということだ。なにぜこういう格好を、輝夜はあまりしたことがない。だから極端に変だとしても、ちょっと自分ではわからない。
　パレードの会場を見るともうこれが、黒山の人だかりといった状況なので、そうそう知り合いに会うことはないだろう。できればバッタリの邂逅は避けたい。恥ずかしいから。

　まあでも――と輝夜はは手にした月のクッションをぐっと抱く。（ウサギさんなので月なのだ）
　もしものときは、この大きなクッションで隠れるから大丈夫だ。たぶん、きっと。