秋の夜、満天の星の下で｜リアクション

秋の夜、満天の星の下で

●月ののぼるまで
　夜の海岸線を車のライトが照らす。
　日月透の運転する車に乗り、望月神無はほとんど景色の見えなくなった窓の外を眺めていた。
（恋人と星を眺める、か。まさかこんな日が私に訪れるとはなあ）
　出かける前、行き先を聞いた姉が妙に笑顔だったのを思い出す。
　一方の透のほうも、慣れない二人きりのドライブにやや緊張した面持ちだ。
　といっても、彼の場合気にする中身は少し違う。
（女性、しかも未成年の方を夜に呼び出して二人きり。下手すると社会的に死にますね）
　さもありなん。
　誠実な人柄で信頼されているとは思うのだが、それでも良識ある大人なら気にするところだろう。
（まあ、でも。やましいことをするつもりは、ありませんから。今は、まだ）
　最後にそう付け加えるあたりは、透も男だということなのだろう。

　エノコロ岬のあたりまで来たとき、視界がいっぱいに開けた。
「すっげえ……」
　神無が窓から顔を出して、満天の星空に見入っていた。
　車を路肩に寄せて、組み立てた簡易式の望遠鏡で星空を眺める。
「カシオペア座は肉眼でも十分に見えますね。この星座は三つの二等星と二つの三等星、比較的明るい星で構成されているんです。ひしゃくの形をした北斗七星と同様に、北極星を探す際の目印として知られているんです」
　授業でもないというのに、時折講義めいたしゃべり方になってしまうのが透の癖だ。
　彼が真剣になっている証でもあるので神無もさほど気にしていない。
　しかし、熱心に解説する透の手が、少しかじかんでいそうに見えたのが気になった。
　そっと解説を遮り、手をにぎる。
「神無……さん？」
　うろたえ気味な透に微笑んでみせ、話すついでにさりげなく肩に頭を預ける。
「先生、手が寒そうだったから」
　これだけ夜風が冷たければ、神無だって肌寒い。しばらく頭をくっつけていると、横から肩を抱き寄せられた。
「……女性が体を冷やすものじゃありません」
　声が上ずっている。優しく良識のあるこの人のことだから、はたして触れていいのものかと散々迷ってくれたのだろう。
　手の感触に目をとじたまま、幸せそうに神無がつぶやく。
「あったかいっすね」
　声のトーンに安堵と幸福感が混じる。しばらくこうしていたい、という意思表明のようなものだった。

　車のそばに戻った透は、助手席のシートに神無を座らせる。
　運転席に座ってシートベルトに手をかけたタイミングで、神無の意地悪そうな声が聞こえた。
「手、出さないんですか？」
　がくんと力が抜け、ハンドルの上に突っ伏す。
　頭でクラクションを少し鳴らしてしまったが、付近に車がないのが幸いか。
「……できるわけないでしょう」
　ついこの間まで、神無の年齢を二倍すれば透の年齢だったくらいだ。
　年齢差を気にしないはずもなく、理性のブレーキが過剰なまでに利きすぎてしまうのが透だった。
　そんな心中を見越しての大胆な言葉に、狼狽しながら顔を赤らめる。
（そっか……先生もこういう反応するんだな）
　可愛らしい一面を見てしまい、思わず笑みがこぼれる。
　同時に、自分がきちんと交際相手として見てもらえていることも十分に伝わってきた。
「わかってますよ。俺も二十歳迎えるまで待つつもりですから」
　神無とて、本気で急いでほしくて言ったわけではなかった。冗談でからかってみたかっただけなのだ。
　焦る必要もないだろう。そう結論付けてシートベルトに手をかけたところで、不意に透が身を乗り出してきた。

　前髪の撫でられる感触にドキッとし、かわすのが一瞬遅れた。
　額にやわらかい、口づけの感触。虫も殺せぬ優しい人と思いきや、急にこんな不意打ちをやってのける。
「……今はこれで我慢しましょう。おたがいに」
　この人のこういう所がズルい。思いやりがあるだけに、そのズルさを責めることができなかった。
　やられっぱなしが悔しくて、神無のほうからも仕返しにと頬にキスをすると、透はやや驚いてこちらを見た。
「お互いにも何も……痛み分けに持ち込みたいならこうしなきゃだめですよ」
　先生が笑うのを聞きながら、そっぽを向く。
　真っ赤で悔しがっているこんな子どもっぽい顔を、透に見せられるわけがない。
「そろそろ戻りましょうか。家の前までちゃんと送り届けますよ」
　今宵も二人の関係に進展はあったが、何かあったかと聞かれれば何もなかったと答えるだろう。
　下心がまったくないと言い切れるほど、透の抱く感情は綺麗ではない。
　それでも大切に思っているからこそ、誠実でありたいと強く願った。

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