なんでもない日のなんでもない夕暮れのこと。
　学校から帰る道すがら、御剣 刀は不意に自分の中に生まれた気持ちにむずむずしていた。
　——全体重を乗せた踵で思いっきり誰かを踏み抜きたい！　こう、グシャって潰すように勢いよく！
　自分でもどうしてこんなことを考えているのかわからなかった。
　いつもと同じように学校で過ごし、部活も楽しく充実したものだったし……。
　——しいて言えば、剣道部の練習で盛り上がりすぎたせいだろうか、少し攻撃的な気分だ……。
　まさか自分が神魂の影響に晒されているとも知らず、その足は自然と旧市街に向かっていた。
　誰か踏ませてくれないかな……と考えながら。
　——とは言え、踏ませてくれと言って踏ませてくれる人間はいないよな。踏んでも許されるような人はいないものか……。
　鷹のような目で踏ませてくれそうなを探していると……いた！
　今まさに不良高校生たちが、可憐な中学生女子を囲み、そして、お話をしている最中。
「なぁなぁ、俺らと遊ぼうぜ。ゲーセン行こうぜ、ゲーセン！」
「わ、私はこれから塾があるので……！」
　——見るからに卑劣そうな奴ら……！　これは踏める……！！
「こら、おまえたち！　いたいけな女子中学生に何をしてる！！」
　そう言いながらも笑顔の刀はいきなり不良生徒を蹴り飛ばした。
「だぁぁ！？　て、てめぇいきなり何しやが……ギャアッ！！」
　転んだ不良の顔面を、一切の躊躇なく地面まで踏み抜く勢いで踏みつける。
「……あっ、スマンなんか気持ちと力が入った。でもほら、他の箇所だと内臓とか危なそうだからさ、顔面のほうが、ね？」
「そ、そういう問題じゃねぇだろ！　そいつ、頭抱えて悶えてんじゃねぇか！」
「大丈夫、頭がい骨は頑丈だから死なない、たぶん。というか、これは旧市街の秩序を乱す、おまえらへの鉄拳制裁だぁ！！」
「うわああああああああーーーっ！！」
　逃げ惑う不良を蹴り倒しては踏み、蹴り倒しては踏み。あっという間にのしてしまった。
　踏みつけたい欲求が満たされ、ああ、快感……と刀は恍惚の表情。
「あ、ありがとうございます……！　おかげで助かりました！」
「なに、礼には及ばない。むしろ絶好の機会を与えてくれて感謝してるぐらいだ！」
「え？　機会……？」
「ああいや、なんでもない。人として当然のことをしたまでだよ、ははは……！」
　衝動は満たされた……のだが、不思議なもので、踏んづけることに満足すると今度は踏まれたい欲求が湧いてくる……。
　一体自分はどうしてしまったのか、しかし、押し寄せる波のように衝動が心を飲み込んでしまう。　
「なぁ、君。別に助けてお礼をしてほしいというわけではないんだけど……その、俺を踏んでくれないか？」
「え？　ふ、踏む……？」
「頼む！　踏んでくれ！　これもひとつの人助けだと思って……さぁ遠慮なくっ！！」
「きゃあ！　やめてください！」
　ビビビと女子中学生の平手が刀の頬を打つ。
「ち、違う！　ビンタじゃなくて、足でこう思い切り……ああっ、待って！！」
「こっちに来ないで！　へ、変態ドＭ男〜〜！！」
「……くっ、行ってしまった！　こうなったら誰でもいい！　さあ、誰か俺を踏んでくれ！」
「？　……何してるんですか、刀お兄さん？」
「え？　あ、ゆ、夕鈴ちゃん……？」



　そこに通りかかったのは、寝子島小学校に通う５年生の夕鈴 翼ちゃん。
　知り合いお兄さんである刀を見つけると、持ち前の人懐っこさで傍に来てくれた。
　うん、絶対傍に来ないほうがいいと思うけど。
「え？　踏んでほしいんですか？」
「そうなんだ。夕鈴ちゃんに頼むのは気が引けるけど、もう我慢できなくて……頼む、俺を踏んでくれないか！」
　完全に正気を失っている刀だが、仲の良いお兄ちゃんにそう言われると断れない。
　なんだろうと思いながら、軽く足を乗せてみる翼。しかし、なんだかこう……刀的にグッとこない。
　それは刀が身体を鍛え過ぎているからに他ならなかった。引き締まった肉体を軽く踏まれても……である。
「ごめん、夕鈴ちゃん！　踏む力が足りない！　もっと力強く体重をかけて！！」
「え、強くですか？　今度はもっと……えぇ、分かりました。お兄さんの希望なら叶えましょう」
　グッと踏みつけると、ハフゥン……と刀から声が漏れた。
「そう、そんな感じだ。いいよ、夕鈴ちゃん……だんだん良くなってきた！」
「わぁ、うれしいです」
「ただその、この体勢……仰向けで踏まれるとスカートの中が見え……い、いや、なんでもないっ！」
　心頭滅却して雑念を払う。小学生女子のパンツにコーフンしてたら変態じゃないか、とキリリと表情を正す。
　小学生に足蹴にされるのはいいのか、と言いたいところだが、何分正気ではないので仕方がない。
　翼は体重を乗せて踏んだり、勢いをつけて踏んだり、初めはよくわからなかったが段々楽しくなってきた。
　——なんだか人を踏むのって、すごく楽しいです……！
　ジャンプして両足でドスン！　これにはさすがに刀から「グホッ！」と声が出た。
「み、鳩尾に入っ……だああっ！？」
「ふみふみふみっ♪」
　翼はイッチニ、イッチニと交互に足踏み、そのうちにお腹からズレて、股間をイッチニ、イッチニ！
「ギャアアアアアアーーーーッ！！！」
「お兄さんが元気に声を上げて……」
　うれしそうに微笑む翼ちゃん。悪魔の微笑みである。
「い、いや、そうじゃないんだ。こ、股間は流石にヤバい、死ぬ死ぬ、男は死んじゃ……」
「それなら、次はもっと強くいきますね！」
　翼にもよくわからないが、眠れるＳ心がむくむくと起き上がってきた。
　もちろん、神魂の影響なのだが、まだ小学生の翼ちゃんには知る由もない。
　悶える刀の股間に抉り込むようにつま先を。鶏を絞めたような悲鳴が上がる中、続いて、踵で思い切り……踏む！！
「アアアアアアアーーーーーーーーッ！！！」
　卵を潰された鶏のような悲鳴。それからグッタリして動かなくなった……。
「ふみふみふみふにゅん……？　お兄さん大丈夫ですか？　顔色が良くないみたいですが……？」
「……ハッ！　ハハハ、今、三途の川を渡りかけてた……」
　このまま続けると別の意味で逝ってしまいそうなので、顔面を重点的に踏んでもらうことにした。
　頭なら大丈夫というのは謎理論すぎるが、刀は気持ち良さそうに翼に足蹴にされた。
　それから俯せになって、背中をしっかり踏んでもらう。鍛えた身体に翼の全力ストンピングが気持ちいい……。
「……まだちょっと股間が痺れてるけど、ありがとう。お陰で満たされたよ」
「いいえ、お役に立てて良かったです、お兄さん。なんだか踏むの……楽しかったですし」
　神魂はすっかり抜けていたが、翼の心には不思議な快感がぼんやりと残っていた。
　——初めての感覚でしたけど……でも、なんだか癖になりそうです。苦しそうなお兄さんが可愛らしくて。
　何か、翼ちゃんの将来に禍根を残してしまった気がする……。
　気をつけて帰るんだよ、と翼ちゃんを見送り、うーんと大きく伸びをする刀。
　人に足蹴にされるのも悪くないな、夕焼けに染まる空を見ながら、清々しい気分に浸っていたらなんだか……。
「……俺、今、一体何を……」
　唐突に、神魂に押さえ込まれていた“正気”が戻ってきてしまった。
　踏まれるのに夢中で気付かなかったが、よく見ればまわりでは旧市街の住民の皆さんが、白い目を向けていらっしゃるではないか。
「ち、違っ……！　う、うわあああああああああああああーーーーーーーーーーーーーっ！！」
　押し寄せる恥ずかしさの波に押し流されるように、刀は全力疾走で走り出す。
　日は傾き、水平線の彼方に沈み行く頃、刀は浜辺にぽつんと体育座りしていた。
　美しい寝子島の海と夕日が、ズタボロのハートに染みる。
「何やってるんだろう、俺……」
　今日はもう少し遅くなってから家に帰ろう。もう少しだけ、この潮風で心を綺麗に洗い流してから……。
　そんなことを思う刀をよそに、夕日はゆっくりと海の向こうへ消えようとしていた。