●北 玄さんの大作戦


「寄るな寄るなーっ！」
　助けが来ないために宙華 淡々はやけになっていた。大きく息を吸い込むと、火を吐きながらグルグルとまわって自分の周りに火の輪を作り、必死に防御を固めようとする。
「落ち着け」
　源一の声も全く届かない。
　淡々の火吹きを大道芸のひとつだと思ってお客さんが拍手を送っているのだけが救いと言えば救いか。

　そこに消火器片手に飛び込んできたのが、北 玄さんである！
「僕マタ工のＯＢですよ！　僕好きな人がこの学校通ってるですよ！　母校の子が好きな子の学校で火事起すのは見逃せないですよ！」
　玄は安全栓を抜いてレバーを握り、火元、すなわち淡々目掛けて、消火器をぷしゅーっと噴射する。
　これには堪らず淡々も逃げる。
「待てー！　ですよ！」
　玄はちょっと演技っぽく――割とこれが素であったが――みんなをぐるりと見回した。
「みなさん、彼を校舎の方に追い詰めて欲しいですよ！　僕に考えがあるですよ！」
　おや、これは参加型のパフォーマンスだろうか？
　首を傾げるお客さんたち。
　咲に淡々の対応を任された七峯 亨が玄の思惑に乗っかって、淡々の行く手にペイント弾を撃ち込む。
「おっと、そっちじゃないぜ！」
　驚いて向きを変えた淡々の行く手で、また別のペイント弾が破裂。
「共闘する方が良さそうだね」
　日暮 ねむるだ。
　ねむるは淡々を挑発して啖呵を切った。

「へぇ、派手に暴れてくれちゃって。いい度胸してるじゃん。僕たちが相手したげるよ。……ＧＯ！」

　ふたりのガンマンは容赦ない。
　代わる代わるペイント弾を撃ち込み、淡々に火を吐く隙を与えない。
　お客さんたちは役者たちに道を開ける。
　いいように踊らされた淡々は、この空いた空間を愚かにも校舎へ向かって走る。
「これでいいのか？」
　亨が玄に問いかけると、玄はＯＫの手合図をして校舎内へ。

「淡々！」
　子分のピンチに気づいた血字礼が、踊るエレナを張り倒してこの花道に躍り出た。
「血字礼姐さ～ん！」
　情けない声を出す淡々を血字礼は威勢よく怒鳴りつける。
「こんなヤツらに負けんじゃないよ！　あんたの火吹きでばーっとやっちまいな！」
　この鼓舞に淡々はその気になって、もう一度火を吹こうと振り返った。
　ごう、と目の前に吹き出した炎を避け、ねむるはその炎自体を死角として淡々の顔目掛けペイント弾を発射。亨も同じように目潰しを狙ったものだから、淡々の顔はすっかり色とりどりのインクに塗れてしまい前が見えなくなって暴れはじめる。
「うわーっ、目が、目が！」
　その隙を突いて後ろに回り込んだ亨が銃のグリップ底部で淡々の頭をガツンとやった。
「痛い！　くっそー、こうなったら！」
　淡々は見えない敵に向かって目標も定めず炎を吐こうとした。
　しかしこのチャンスこそ、亨が狙っていたものだった。
「姐さん！」
　亨は咲に合図し、大きく息を吸う体勢に入った淡々の両こめかみを押さえつけるとその顔を血字礼の方へ。
　咲もタイミングを合わせ血字礼を淡々の正面に誘い込む。
「あっ、バカ！　やめ……！」　
　血字礼の静止ももう遅い。
　淡々が炎を吐いた。
　血字礼の赤くて長い縮れ毛が、真っ黒な炭に変わってしまうかと思われたそのとき！

「行くですよー！」
　玄の声がして、校舎の窓から勢いよく放水が始まり、血字礼の、淡々の、そして事に当たっていた皆の上に降り注ぐと、髪と言わず服と言わずびしょびしょにしてしまったのである！

「学校の廊下にはたいてい放水栓あるですよ！　僕、会社の火災訓練で屋内消火栓の使い方、練習したですよ！　まずポンプ始動ボタンを押して、放水用貯水槽から水を汲み上げるですよ！　次に消火栓ボックスの扉を開けるですよ！　ホースをのばして、ねじれをなくすですよ！　火元に放水口を向けるですよ！　開閉バルブを開き、放水するですよ！　勢いがあるから、腰を落として、両手で持ちしっかり持つですよーっ！」

　消火ホースを持つ玄の言葉は、勢いのよい水音に掻き消され気味だったが、とにかく玄はやったのだ。

　放水の勢いに圧された隙をついて、ねむるが淡々を後ろから羽交い絞めにし首に腕を回して気道を圧迫した。
「うぐっ……！」
「抵抗しても無駄だよ。静かに落としてあげるね」
　頭に触れて発動させたのは＜In to the Sleep　Act2＞。淡々の瞼が重くなり、その身体はぐったりとねむるの腕の中へ。ねむるは、すっかり眠り込んでしまった淡々のぷくぷくしたほっぺたを突く。
「寝顔は可愛いんだ、不良つっても十人十色なのかな。……あーあ、すっかり濡れちゃった。お店に戻ったら一休みしよっと」
　――戻ったねむるは間宮 芽瑠の静かだが優しい出迎えを受けた。ハンカチでねむるの濡れた髪を拭き、怪我はないか甲斐甲斐しく確かめ、何もないと分かるとほっと安堵のため息を漏らす。
「お疲れ様でした。学校を守っていただき有難うございます」

◇

　寝子高に、大きな大きな虹が架かった。
　シグレ・ナイトウォーカーには分かった。ここが締め時だ、と。
　神嶋 征一郎がそっとシグレに声を掛ける。
「てめぇらしくやれ」
「ああ、もちろん」
　用意していた大技『ブルームマジック』。幸い、協力者である楢木 春彦も戻って来ている。
　披露するのは今しかない。だがそのときシグレは人垣の中に野々 ののこが居るのに気づいた。この技は春彦のろっこんが頼りだ。ののこの、そして他のひとの前で、ろっこんは発動するのか。
　ののこと一緒にいた普堂 しおりが、皆に聞こえるような大声でこう言ってくれたのは、まるでシグレの心を読んだかのようなタイミングだった。
「わー、最後はナイトウォーカー先輩の手品みたい！　楽しみだねー！」
　ナイスフォロー！　シグレはしおりに心の中で感謝した。
　手品だと思って貰えればあるいは！

「皆様ご注目！　空中散歩と花の魔術をご覧あれ！」

　シグレはひらりと舞い上がった。
　跳躍。触れる空中の足場。
（よし！）
　春彦の＜Stairs of air＞は無事発動していた！　透明の足場を蹴ってさらに高みへ跳んだシグレは、マントをひらり、花びらとキャンディの雨を降らせる。
「うわあっ！」
　ののこも、しおりも、笑顔になって腕を広げる。
「すごい！　不思議！　これって魔法？」とののこ。
「きっとイリュージョンだよ」
　しおりは自分の役目を忘れず言った。ののこに、お客さんたちに、これはフツウだと。
「でも……魔法みたいに素敵！」
　地上に舞い降りたシグレは、最後にシルクハットをとって恭しくお辞儀をしショーを締める。
　喝采、喝采、大喝采！
　笑顔になったのはしおりたちだけではない。みんなの心も不思議と晴れやかだ。

　それは空に架かった虹と、素敵な花びらとキャンディの雨のせい？
　いいえ、きっとそれだけじゃない。

「みんなにとって、今日という日常が楽しく幸せでありますように……！」
　人知れず、屋上で祈りを捧げ続けていた維都月 茉菜。
　皆の心が明るくなったのは、彼女のろっこん＜大天使の加護＞のお蔭でもあったに違いない。

◇

「僕知ってるですよ！　よくドラマとかで火事の中に入るとき、水かぶるですよ！　でも実は逆効果ですよ！　水、空気より熱伝導率、高いですよ！　80度の湯船に5分も浸かれば大やけどですよ！　でも120度のサウナなら、10分入っても脱水症状になるくらいですよ！　火を吹く大道芸の人、服、濡らしたら、きっと熱くて火を吹けなくなるですよ！」

　玄は大ミミズみたいに暴れるホースを押さえながら、素晴らしい薀蓄を披露し続けていた。玄の作戦は大成功で、服どころか全身濡れ鼠になってしまった淡々は今日はもう火を吐くことはできないだろう。
「コラー！」
　トランシーバーを手にした倉前 七瀬と吉田 熊吉先生が物凄い勢いで廊下を走ってくる。七瀬は智をピックアップしたのち、他の選管たちとも連絡を取り合って状況の把握に努めていたのだ。吉田先生は大急ぎで水栓を閉めると、玄の鼓膜も破れんばかりの大声で吼えた。

「このバカタコがァァァァアッッ！」

　玄が稲妻に打たれたように震える脇で、七瀬は耳に指で栓をしてこの怒号をやり過ごす。
　玄は腑に落ちないとばかりに吉田先生に詰め寄る。
「僕やったですよ。僕のお蔭で火事にならずに済んだですよ！」
「だからって放水する奴があるかー！」
　吉田先生の威勢のいい小言をまた指を耳に差し込んで聞き流しつつ、七瀬は玄にこう言った。
「ああそうそう、虹、綺麗でしたよー」