幕の内の内の内｜リアクション

幕の内の内の内

　調理が始まった。
　まず衛守が、レシピにしたがって調理を始める。
　味見をしてもらい、そこからアイデアを出してもらうという方針だ。仕事に生真面目で、責任感の強い彼らしい思考法だ。
　サンマの焼き魚、厚焼き卵、オムレツ、ほうれん草の胡麻和え、ナムル……。
　強面の外見と裏腹に、衛守の調理は緻密で、繊細だった。
　下拵えを徹底し、一切手を抜かない。ある意味、彼らしい。
　千歳と刀も、調理を手伝う。
　その傍らでは理沙と修が、スイーツ系お弁当に着手している。

　衛守は、いつしか皆の中に溶け込んでいた。
　黒スーツにサングラス。調理の直前まで外すことのなかった黒手袋。
　あからさまに異様な風体だ。理由がないわけではないが、あからさまに不審者である。

　鉄衛守。
　彼は、あらゆる意味においてその名の通り『鉄』のような男であった。
　普段勤務先のドライブインで営業スマイルを見せる姿は柔和そのもの、痩躯と相まって、一見するとくみしやすしと思われてしまうこともある。
　だが、彼のテリトリーに不用意に足を踏み込んだり、彼の大事なものを蹂躙しようとする輩は、彼の正体、真価を知ることになる。
　瞳の奥に潜む眼光は、鈍い金属の光沢。ぎらり刃、営業スマイルがそれを覆い隠すための血反吐を吐くような努力のたまものであったと知らされる。
　さらに愚かなものは、彼の電光の如きテコンドーの技で再起不能にされる。
　だが、彼の真価はそれら外面的なものではない。
　彼の『鉄』たるは、その信念。

　かれは、自他ともに認める「生真面目な堅物」である。
　恩義ある者のため、守るべき人間のため、どこまでも自らをむなしゅうすることをためらわない。そして、信頼できる相手にはどこまでも篤実に相対しようとする。
　人と相対することは、いつもまたとない真剣な刃の競り合いなのだ。

　そんな彼にとって『料理』は、数少ない大切な趣味であった。
　派手さ、奇抜さとは無縁。とれたての魚や旬の野菜に包丁をいれ、だしを丹念にとり、煮物、和え物を拵えていく。彼らしい、手抜きのない、生真面目なお料理。
　秋の鈍い陽光に鍋のふちがかがやき、しゅんしゅんと湯気を立てながら煮物にゆっくり火が通っていくのを見るのが、彼にとって何より充実した、安心できる時間なのだ。

　今回衛守は、勤務先のドライブインからの派遣という形で来た。
　演劇祭に協賛の決まっているドライブインでは、当日ここで考案された弁当を販売することが決まっている。
　地元のイベントにも、参加しなければならない。
　また、若者の間でどのような食事が好まれているのか、知ることのできる機会である。

　手際よく仕上げられていくおかず。秋野菜と鶏肉の煮物。ほうれん草の胡麻和え。オムレツ。ナポリタン。
　周囲から感嘆の声が上がる。
　抜群の素早さであり、無駄がない。出来上がったものは品よく美しい。
「味見をしてもらってもいいか」衛守の言葉に、皆が頷く。

　再び感嘆の声が上がった。
　それを見て衛守は、ふっと表情を和らげる。
　自分の作ったものがこれほど受け入れられるとは、正直意外であった。
　若者はもっと、手軽で味付けの濃い食事を好むと思っていた。ドライブインでも売れるのは手軽なファストフードばかりだ。
　それはそれでいい。若者のアイデアは取り入れ、尊敬できるところは尊敬する。

　だが、この場においては、自分のつくる派手さのない料理が好評だ。
　先ほどの幕の内三種の神器の一件といい、若者は――少なくとも、ここにいる若者は、地道にオーソドックスに物事を仕上げる事にも価値を見出しているのかもしれない。

　自分は、脇役、裏方であると思っている。スポットライトを浴びる主役は……ほかにもっとふさわしい人間が、いる。
　幕の内という『脇役』を作るために集まったメンバー。
　彼らなら、衛守のそんな思いを理解してくれるのかもしれなかった。