【五幕】　代官屋敷　⇔　庭　（全員）

「ぼくは、父に再仕官させてやりたいのです！」
　国を傾かせ、実直な父を苦しめる放蕩三昧な殿が許せぬと、千代は赤い唐傘を抱きしめ訴えた。
　実は千代は、連れ去られた──かと思いきや、腹笑屋と一芝居打ち、自らの意志でここに来たのだ。
　新米に目撃されたのも計算の内。

「ふふ。判る判るぞ。そちの胸の痛みが。いたいけな娘がこうして苦しんで居るというのに、ろくな政もせず、遊び惚ける殿こそが国の悪よのう」
　扇ぱたぱたぱたー。
「代官様が殿を成敗してくれるなら、ぼくも協力したいのです」
　利害は一致した。
「よし。様式美ごっこじゃ」
「はいっ」
　千代の手を取り、代官がほくそ笑む後ろで、
（代官め。何か企んでいるな……）
　と、腹笑屋は二人を残し、すすすーっと退室した。

　猫太郎は必ず現れる。
　それまで暫し、広い閨の間で、かどわかされた娘が悪代官に襲われるごっこ。
　千代の帯に手を掛け、くるくるほどいて回し、
「良いではないかー良いではないかー♪」
「あぁ───れぇぇ───」
　（くるくるくるー）
　……てな事を繰り返しやっていた。


　その内、一陣の風が灯りと障子に映る影を消した。
「な、何奴？！」
　天井から飛び降りる気配が二つ。
「む、む……誰か、誰か居らぬか！　賊じゃ！　きのこじゃ！　曲者じゃ！」
　只ならぬ事態に千代を放り出し、襖を伝って外へ逃げる代官の大声に、腹笑屋と手下共がわらわらと廊下と続きの間を駆ける足音が屋敷中に響き始めた。
　次々と灯される松明が庭に広がり、侵入者にとって暗闇の逃げ場を退ける。


「さあー。気合い入れていくでーお鶴。張り手や、けたぐりや、包丁や！」
　両袖抜き、上半身を露わにした源の字の筋骨隆々な身体は、座敷に現れた手下共を圧倒する。長い手足は、刀よりも早く敵の懐に飛び込み、鳩尾を殴りつけた。将棋倒しで倒れる手下共は、庭に飛び出て石灯籠の傍でひっくり返り、だだんっと踏みしめる源の字の足は、手下の足元を揺らす。
「源の字。雑魚は任せたよ」
「おう！」
　するりと人波を抜けるお鶴は、襖を倒し逃げる代官を追った。
　行く阻む手下に、「御免」とばかりに手刀を食らわす。
　ばばんっと、代官は窮鼠猫を噛むで、襖をお鶴に向かって蹴り倒した。
「代官！」
「はーはーはー」
　しかし、裏をかいたと庭へと飛び出したが、颯爽と目の前に現れた猫太郎に行き場を失う。
「く、もう狩野は倒れたか！　皆の者、であえ！　であえー！！」　
　あわあわと退く代官を庇うように、左右後方から、手下共が現れた。
「冠部骨衛門……貴様の悪事。見捨ててはおけん。成敗致す！」
「はっ！　どの悪事か判らぬわ！」
　手下は、まだまだまだまだ代官の前に続々と現れ、猫太郎、大河に揉まれる葉の如し。
　まだまだまだまだ、まだまだまだ手下が集まった。
「……………………代官…………あざとい！」


　庭には猫太郎。屋敷に天誅人。
　一方、猫太郎侍より、かなり遅れて到着した新米は、完全に舞い上がって庭の隅。
「わっわわーわー！！　これ以上は僕の心臓がもたない気がするんだけど、ってもうクライマーっく…！」
　最後まで云いきる前に、飛んで来た手下の群れに次々と口を塞がれた。
「「岡っ引き、落ち着け─！！」」
　また云われた。
「ふごごご」
　落ち着け。落ち着け。ぎゅっと目をつむり、何かが吹っ切れた瞬間、
「も、もうどうにでもなれ！　突撃、突撃──ッ！！！！」
　十手振り回し、大立ち回りを始めた。

　
「うぉりゃあ！」
　源の字が拳振り上げ、廊下から庭に降りた腹笑屋に殴りこむ。一打二打の猛攻に鉄扇を曲げられた腹笑屋は忌々しく舌打ちする。しかし、好機とみて飛びかかる源の字の勢いを利用し、掴んだ手首を捻りって巨体を宙に回した。
　勝負は互角。
「こんな商売してるから怨まれたりは勿論。だが、商人舐めちゃいけない」
　こんなものもある、と懐から取り出したるは、『　短　筒　』
「ちぃ。一時撤退やな！」
　最も危険な飛び道具。
　万事休す！
　火花散らし、着火後に起きた破裂音が、全員の動きを止める。
　一丁目は背後の屋敷へ退く源の字の肩を掠め、
　二丁目、代官を目指す猫太郎へ向けられた───刹那に。

「たぁっ！」

　かっこぉぉおんっと、景気の良い音を鳴らし、腹笑屋の短筒は横から飛び出た丸い物に弾き飛ばされた。宙を舞う短筒は、皆が茫然と見守る中、くるくる回転しながら、屋敷の屋根へ飛んで行った。
「──なっ！？」
「──は？」
「──ぇえ？？」
　小町の丸盆だ。
「猫太郎さんを探して追いかけて来た所……おやまあ、おとりこみ中かい？」
　虚を突かれた腹笑屋と、駆け寄る猫太郎の間に挟まれて、めし屋の看板娘小町が盆を持って立っていた。

　まっちっーむーすーめぇぇぇぇ──？！

「やーっと見つけたよ！　猫太郎さん！　って、味方少ない！　あたしでよけりゃ加勢する」
「こ、小町さんが？！」
「なに──？！」
　猫太郎と腹笑屋の声が重なった。
　再び振りかぶる盆の襲撃を避け、素早く後方へ退がる腹笑屋。一転した表情は冷静さを取り戻し、「とんだ邪魔が入ってしまったがね……」と、不敵に宣言する。
「お前達は悪代官が倒れれば、それでよかろう？　ここで私の相手をしてていいのかね」
　突き出す両袖から現れる大量の銃口が猫太郎と小町に向けられた刹那、鈍い着火音と共に辺り一面、白煙が覆う。
「きゃあ！」
「目くらましか！」
　翻弄される二人を置き去りに、腹笑屋の姿が眼前から消失したのだった。


　四方を塞がれた視界に、浮足立つ手下達。
　逃げた腹笑屋に、代官の焦りが生じる。
「裏切ったな……腹笑屋め。今までの恩を忘れおってぇ！」
　剣戟する手下達の後ろで代官が歯ぎしりをする。
「ええい！　ひるむでない！　所詮、相手はネズミ共！　残りは町娘一人と、『何だ居たのか』のヘタレではないか！」
　ざざざーっと闖入者達を取り囲む手下。
「ヘタレは、僕ー？！」
　十手、カタカタ震わせながら、新米は手下に揉まれて、うろうろ。
　うろうろうろ。
「あ、千代さんが！」
「きゃあ！」
　混乱の中、唐傘を抱きしめ、廊下の柱の陰に隠れていた千代を素早く見つけた代官は、「あ、お代官様、何を！」千代を引き寄せ、白い喉元に刀を当てる。
「代官！　人質とは卑怯な！」
「はーはーはーはは！　何とでも云うがよい。千代の命が惜しくば、大人しくネズミ共は、ここで果てるがよかろう！」
「ぜぜ、絶対絶命だぁぁー」
　新米は涙声で云う。


　白煙が治まるにつれ、三人を囲む手下共の輪が縮まって来る。
　凶刃の群れに震えあがる新米と、度胸いっぱしで盆を構える小町の二人を背に庇う猫太郎。
「それ！　今じゃー！」
　しかし代官の声に一同が動いた瞬間、千代が手にした唐傘の先を代官の足先へと突き入れた。
「う……」
　ぱんっと千代が開く唐傘。
　代官が頭上高くそれを振り払うと、舞う赤い唐傘の陰に舞い込んだ一匹の蝶。
　それは、誰の眼にも触れず、するりと姿をお鶴の人型へと変え、代官の背後に降り立った。
「天誅」
「貴様？！　いつの間に……うぐっ」
　口に布を押し込み、毒針で耳を一突きすれば、代官は苦悶の表情を張り付け、もがき苦しむ。見開いた目の先には、突進した源の字に抱えられるか弱い娘から一変して、口角を吊り上げた千代の顔。
　──　小娘と侮ったが、あれは花は花でも、毒の……花。
　廊下から庭へ転がり落ち、布を吐きだした代官の口から絞り出される怨嗟の言葉。

「……げに恐ろしきは…………女の……したたかさよ」


　悪行の幕切れだった。

　その時、辺り一面に呼子が響き渡り、多勢の足音が押し寄せる。

「お上の手が回ったか。行くよ！　源の字」
「あいよ。お鶴」
　手下共は、代官が事切れると烏合の衆。
　混乱の中を駆け、猫太郎は千代から去る天誅人達の前に立ちはだかる。
「貴様等何者だ！　下手人の仲間か？！」
　素早く刀を構えた猫太郎と、お鶴と源の字は松明の灯りに照らされた互いの顔を見合う。
（こやつらは、めし屋で見かけた……）
（やはり邪魔をするか。……殿！）
　殺るか殺られるか。
　しかし、相手は殿……殺れば、国中が混乱の渦中になる、その天下の重さを、お鶴は知っている。
「あたしが囮になる」
　鋭く叫ぶ源の字を小声で制し、先を行かせ、
「待て！」
　後を追おうとした猫太郎に見せかけの勝負を挑む。
　庭に次々と同心達の提灯の群れが雪崩込むと、新米の歓喜の声が響き、その隙に猫太郎から身を翻したお鶴は傷を負いながら同心達を散らして地を駆け、塀を乗り越え去った。
　

　その後、お鶴と源の字が、何処へ消え去ったか、知る者は居ない……。