オトナたちの一日｜リアクション

オトナたちの一日

起床後、伊織紘之助は自分と孫の分の朝食を作り始めた。魚新で買ったした鮭が焼けるにおいが家全体に広がる。孫はまだ起きてこない。起こそうかと思ったが、昨日夜遅くまで勉強していたことを思い出ししばらく寝かせることにした。
「っし。運動がてら、神社まで行くか」
散歩は紘之助の日課である。年齢を感じさせない軽い足取りで、紘之助は神社へと向かった。

秋空がオレンジ色に染まり始めたころ。
煙草店・檀屋（まゆみや）の店主、御堂地瑛華はノートパソコンをいじりながら、水パイプを楽しんでいた。店にいながら隙間の時間で商品の注文ができるなんて、便利な世の中になったものだ。
「おう、店主。今日は定休日じゃないのかい」
聞き馴染みのある声に顔を上げれば、常連の紘之助が立っていた。パソコンを閉じて、瑛華は飄々とした笑顔を見せる。
「いらっしゃい。一応定休日だが……今日みたいに特に予定もない時は大体店の中で煙草吸ってるからね。なら別に閉めてても開けてても変わりゃしないからさ」
「はは！　まあ、俺にはありがたいけどな」
「お求めはいつものかい？　カートン？」
瑛華が棚の下から箱を取り出す。
「おう、ありがとさん。今日はひとつで十分だ」
「まいど。刻み煙草はこれだよなあ」
「もう若いもんは吸わねえって聞くが。いや、あんたは十分若いが。変わりもんだからな」
「ふふ、変わり者は私にとっては褒め言葉さ」
「……そうかい」
「よかったら吸っていきなよ、伊織さん。そっちも仕事が一段落ついたところなんだろ？」
ああ。と、紘之助はため息とも返事とも取れる声を漏らし、店の壁に背中を付けた。刻み煙草を丸めて火をつける。
「美味ぇな」
「伊織さんの鍼灸、評判聞くよ。うちの常連さんにも伊織さんのファンが多いからさ」
「なんでえ。褒めても何も出ねえよ」
「はは」
伊織は今日の客の顔を思い出す。
ひとり、昔の馴染みが訪ねてきていた。時々ふらっと訪ねてくるアイツだ。丸くなっただの、落ち着いただのと勝手なことを言うもんだから文字通り灸をすえてやった。
「そういえば、伊織さんは甘いものは食べる？」
「いや。甘いものは孫が好きだな」
「寝子高の近くにあるRatonって洋菓子店が美味いらしいよ。これから散歩のついでに寄ってみるつもりなんだ」
「そこ、煙草は吸えるのか？」
「無理じゃないかなぁ。煙草を吸うための喫茶店は別に馴染みがあるからさ、それはいいんだ」
「そうかい。俺はこれから道場だが、近くまで行ったらその菓子店に寄ってみるかな。まあ、寝子高の近くなら孫がもう知ってるかもな」
「え？　あ、そうかそうか。お孫さん、高校生だっけ」
「ああ」
まあ、見えねえだろうがな。と紘之助は内心苦笑する。キセルの灰を片付け店の壁から背を離した。
暗くなりかけた道を歩き道場に着くと剣を握り、型と素振りに集中した。汗が一筋首筋を伝い落ちる。今日はこのぐらいがいいだろう、腰も昔ほど強くない。
「……俺も歳を取ったもんだ」
それでも剣を振ることはやめない。続けることをやめれば、技術は廃れてしまうから。
「そろそろ、孫の帰る頃か」
何時までもだれかの壁でありたいから。

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