【敵対者】

　看守棟は、監視室。
　脱獄組が開き、中央ゲートを遠隔操作で開いた後。それを目にして戻ってきた看守たちの手によって、再び奪還されるはずだったその部屋は、しかし今、入り口の扉の前に崩れた瓦礫や障害物によって、即興の密室に仕立て上げられています。
　暗く狭い空間の中。一人、飾り気の無い回転椅子に深々と腰掛け、ゆったりとしてモニタを眺めつつ、酷薄な笑みを浮かべる……骨削 瓢。
　出入り口を硬く封鎖し、立て篭もった彼の背後、コンクリートの壁には、ぽっかりと開いた大穴。
　瓢の立てたプランは、シンプルなものでした。老朽化した施設のコンクリートの壁を、掘って、掘って、掘って……ただし。その先に繋がっていたのは、監獄の外ではなく、むしろ内側。
　彼の掘り抜いた穴は、脱出するためのものではなく、この監視室へと潜り込むための侵入路だったのです。
　くつくつと、彼は笑います。
　手に取ったのは、監獄全体へと彼の声を伝えるマイク。
「……監房棟内に、火災発生！　全ての看守は、ただちに囚人たちを棟外へ避難させよ！　繰り返す、監房棟内に火災発生！　ただちに、全ての囚人を避難させよ！」
　放送は、合図でもありました。看守への偽の指示であるのと同時に、事前に多くの房の囚人たちへと触れ回り、煽り立てておいた……彼らの一斉蜂起の開始を意味する、そのシグナルなのです。
　監視室へと陣取った瓢は、情報操作を重ねて看守たちを右往左往させ、思うがままに操り。
　混乱の上に、更なる混沌を。
　やがて、独房へ押し込められていた、ひときわ荒い性質を持つ者たちまでも含めて、ほとんどの囚人たちが解放され。堅牢だったはずの監獄は、内側から食い破られるようにして、崩壊を広げていくのです。
「この監獄はぁ、あっしらが乗っ取りました～！！」
　げらげらげら。スピーカーを通じて響き渡る、高らかな哄笑。
　彼の口元は、何か、新鮮な肉でも食いちぎったかのように……半ば乾いた、赤い色に彩られています。



　浅葱 あやめの観察力、そして演技力。看守服に身を包んだ彼の本領が遺憾なく発揮されるのは、まさに今この時。
「囚人を護送中だ。暴動の鎮圧は、そちらに任せる」
　目深にかぶった帽子のつばに手を添えて、すれ違う看守たちへ、軽く会釈。
　その横柄な態度や細かい仕草に至るまで、分析は完璧。自らも看守服に身を包んだあやめの変わりよう、なりきりようときたら、まるで人が違ったかのようです。
　看守に扮したあやめ、そして彼に護送される囚人役であるところの、八神 修。二人が向かうのは、正面ゲートの向こう。
　行き先に疑念を持ったのか、呼び止めようと近づく看守たちに対しては、
「……囚人が、抵抗するな！　大人しくしないか！」
　手にした警棒で、修を殴りつけるほどのあやめの徹底振りに、目前の暴動に対して手一杯らしい彼らは、ふいときびすを返して行ってしまいました。
「……ふう……ごめんなさい、痛かったですか……？」
「いや。上手く加減してくれたな」
　軽く頭を振ったのみで、修には傷一つありません。これもまた、あやめの巧みな演技の一環、その成果と言えました。
　事なきを得て、二人は隙を見ながら、正面ゲートをくぐります。
　それは、見上げるほどに巨大な、分厚い鋼鉄の塊。監獄という名の閉鎖空間を封じ込めるのにふさわしい、凄まじい威圧感を放つ扉でした。
　今は開かれているそれをくぐると……外に広がるのは、またしても壁。ただ、これは監獄という施設全体と外界を区切るためのもののようで、囚人の逃走防止を目的とした、あの目もくらむような塀に比べれば大した高さでは無く、その気になれば昇ることもできそうです。
　とはいえ今は、そちらには目もくれず。二人が探すのは、もっとスマートな手段のための、その道具。
「駐車場は……あちらか」
　程なくして訪れたのは、看守のものと思しき数台の車が停められている一角でした。手早く、あやめは看守棟で手に入れたキーを差し込み、対応する車を探っていきます……が。
　並んだ車の中でも、これであって欲しくない……という思いで差し込み、回したキー。かちりと音がして、開いた扉。
「……これは……」
　あやめのキーは、いかにも頼りない、小型車のものでした。
「……この車では、乗れるのは……せいぜい４、５人が良いところ。当てが、外れましたね……僕たち、全員が乗っては……逃げられない……」
　今から別のキーを探しに看守棟へ戻っている時間は、どうやら無さそうです。何より、先ほどさんざん看守棟を探し回って見つけられたのは、どの道これ一つ。
　落胆の色を隠せないあやめへ、しかし。修は落ち着いたまま、キーを扉から引き抜き、運転席の鍵穴へと差し込んでひねると、
「問題は無い。俺は、残るからな」
　事も無げにそう言って、怪訝そうなあやめの視線をよそに、エンジンをかけました。
　彼には、彼の計画があるのです。



「やっと……出られるのか……」
　痛む全身。ぐらぐらと揺れる視界。恵御納 夏朝……いえ、『夏夜』は、傷だらけでぼろぼろの身体を引き摺りながら、ゲート前へと向かいます。
　解放された囚人たちを突き動かす暴動の火は、未だ消えず。積もり積もった怨恨のためか、正面ゲートが開かれた今も、周囲を満たす争いの音が消える気配はありません。
　『夏夜』はその真っ只中を、重い足を必死に動かして進みます。
　疲れ切って軋む身体は、言うことをきかず。ともすれば手放してしまいそうな意識を繋ぎ止めながら……やがて、訪れた限界に。
「おーっと！　お待たせ、大丈夫？」
　彼女が倒れ込んだのは、首尾良くゲートを開きここまでたどりついた、桃川 圭花。その胸の中でした。
「囮役、お疲れさまだよぅ」
「あやめさんたちは、まだみたいだね……今の内に、応急処置をしておこうか」
　傍らには、呉井 陽太、それに看守服を着た日暮 ねむるの姿。ねむるは包帯を取り出すと、馴れた手つきで夏朝の傷に治療を施します。
　その間、圭花がふと辺りを見回し、
「あら、あの犬猫コンビは？　来ていないの？」
「……分からない。この混乱だからね……途中で、はぐれてしまったよ」
　『夏夜』と共に陽動の役を果たした桐野 正也、工藤 耀の姿は、乱闘騒ぎに紛れてしまったのか、ここには見当たりません。同房のよしみか、圭花は彼らのことを少しばかり気にしているようでしたが、どの道車が到着するまで、少しばかり待つことになりそうです。
　囚人たちは数で圧倒していることもあり、なかなかに奮闘してはいるものの……武器を携帯し、その道に長けた屈強な看守たちを相手に、ここからどれほど持ちこたえられるかは定かでは無く。彼らは追手の目を囚人たちの作る人垣で避けつつ、じりじりとしながらその時を待ちます。
　やがて。心が急いて、膨れ上がる不安が抑えきれなくなってきた頃。
「…………だ、め……みん、な…………いっちゃ、だめ……」
　現れたのは、あやめや修が手に入れているはずの、この監獄から彼らを連れ出してくれるはずの、車ではなく。
　あまりにも威圧的な、巨躯。ひときわ大きく、いかめしい帽子。巨大な拳に、砕け散るほどの力を込めて握りこんだ、ぞっとする赤黒い警棒。
　幾人もの部下を従えた、看守長。そして、
「……だつごく、なんて…………わるい、こと、は…………だ、め……！」
　看守たちを引き連れて来たのは……脱獄を目指す彼らにとって、ある意味では、最大の障害。
「わたしは……どんなことをしても、みんなを、とめるの……！」
　幼き正義。『密告屋』、小島 海美。
　ひゅうひゅう、ぜいぜいと。苦しそうに浅い呼吸を繰り返す、片手で押さえた彼女の喉元は、何か……獰猛な獣にでも食いつかれたかのように。半ば乾いた、赤い色に彩られていました。