夏の奈良、鹿せんべい｜リアクション

夏の奈良、鹿せんべい

●それぞれの夜

「凄いお宿なのだ……」
　後木真央は、春日山原始林の中に佇む高級料亭の前であんぐり口を開けていた。
「手配は任せたのだって言われたから、お勧めの料理旅館を手配しておいた。
　１日数組限定で全て離れ状態。せせらぎの音、林に鹿、料理も素材が吟味されてて……」
　爽やかに笑う八神修の言葉を遮り、恐るおそる聞いてみる。
「お、おいくら万円なのだ？」
「そんなに高くないさ。一泊六万程度で……あ」
　現金５万円プラス郵便局のカードを持ってきたけど多くなかった……と心の中で汗をかく真央。
　友人と自分の金銭感覚の差にようやく気付き、しまった、と凹む修。
「……修ちゃんの金銭感覚何となく分かってたのだ、気にすんななのだ。こんなときは逆に考えるのだ、真央ちゃん独りじゃこんな高級宿端から考えないのだ、良い体験なのだ。それにいつかできる彼女に初っ端からかまさなくて良かったのだ、無問題なのだ」
「うわー俺が出すつもりだったんだよ、宿代出させてください！」

　というわけで。
　さすがに全部は気が引けたので多少真央も払いつつ、けど多少はこのリッチな友人に甘えさせてもらって。
　旬の素材を使った会席料理に舌鼓。
　円窓越しに鹿が遊びに来て、興味深そうにこちらを覗いている。
「美味しいのだ。美味しすぎるのだ。こんなお宿に泊まれるなんて本当に修ちゃんに感謝なのだ！」
　真央が喜んでくれているから、やらかした修も救われる思いだ。
　食後、修がおもむろに参考書を広げ始めると、真央はすかさずそれを取り上げた。
「まーた勉強なのだ？　参考書厳禁なのだ読むなら旅行ガイドにするのだ」
「いや、つい、くせで……」
　こんなやりとりもお約束。
　楽しい夜は更けてゆく。

◇

　猿沢池から徒歩５分、町屋を改造したゲストハウス『こうもり』のドミトリーでは。
「あらっ、あなた奈良公園で助けてくれた……」
「やあ、まさか同じ宿、同じ部屋とはね」
　旅鴉月詠と恵御納理沙がふたたび顔を合わせていた。
　理沙はベッドの上で絵を描く月詠ににじり寄る。
「これ、昼間の？」
「そう。記憶が鮮明なうちに仕上げておきたくてね」
　昼間描いたラフを元に月詠はどんどん絵を完成させてゆく。
　話をするうち、月詠だけでなく先ほど会ったかなえもシダも寝子島の子だと知った理沙は顔を綻ばせた。
「奇遇だわ……娘も寝子高に通っているの。もし会えたら、仲良くしてもらえたら嬉しいわ」

　そのころ同じ『こうもり』の個室では。
　夜の散策を楽しんできた御巫時子が旅の思い出を胸に床につくところだった――。

「おやすみなさい……」

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