デンジャラス・スリッピー・ゾーン｜リアクション

デンジャラス・スリッピー・ゾーン

◇ある日パパと
　いまだ炎天下の中、如月がひとりごちる。
「……一体、何がどうしてこうなった」
　いまや彼の足は、自分の帰るべき家とは違う方角を向いて歩んでいる。
　そしてネミッサは如月の肩に負われたまま、しれっとした顔でジェラートを堪能中だ。
　かたや天国でかたや地獄、背中あわせのこの温度差。
　なぜ、と自問したくなるのが人情だろう。

　事のあらましを短く記すと、こうである。
　ひとしきりネミッサが泣き終えるまで、如月はひたすら彼女をなだめていた。
　涙声のネミッサ曰く、急に足元が滑りだしてどうしようもなかった……ということらしい。
　転んで膝を打った上に怖い思いをし、やっと助かったと思いきや、
　今度は怒鳴られて驚いてしまったのだとネミッサは言った。
「でもね、もういいの。ミスタが優しい人だってわかったから」
　そして間髪入れず、少女はとびっきりの笑顔でこう付け加えた。
「ネミッサ、おいしいジェラートが食べたいな」

　つまり、弱みをにぎられ少女の脅迫に屈してしまったのである。
　実際に何かしたわけでなくとも、ジェラートを奢らざるを得なかった。
　だって。
（万一あらぬ誤解を受けたら厄介だからな……）
　何かと物騒なこのご時世、誘拐犯にでも間違われたらと思うとゾッとする。
　如月の背筋に、ひやりと冷たい感触が走った。
　嫌な想像をしすぎたろうか。いや、この感触は――。

　足を止めて、背中のネミッサに声をかける。
「……おい、ジェラートこぼすな。首筋冷てぇだろが」
「あら？　こぼれてたかしら、ごめんなさーい」
　笑って返しつつ、ティッシュでちょちょんと首筋を拭く。
　遠慮なくおぶってもらっている身とはいえ、
　本当に失礼にあたることはしないのが彼女の流儀だ。
「それにしても、ミスタってば紳士な上に力持ちね！」
「如月だ。如月庚。紳士かどうかは保証できんが、バイト先で鍛えてるからな」
　はぐらかすように答えたが、褒められること自体は満更でもない。
「あら、働き者なのね？　なんだか気に入っちゃった」
「そいつはどーも」
　バイトの接客で多少慣れたとはいえ、少女のしゃべるペースは如月には若干はやく感じた。
　進んで多くを語らない人なのかもしれない。
　聞き役に徹するこの年上の男性を、ネミッサは上辺だけでなく本当に気に入ったようだった。
「そうね……ネミッサが大きくなったら、お嫁さんになってあげ……きゃあっ！？」
　言い終える前に庚がむせこんだ。
　むせたついでに足がすべるゾーンにさしかかり、少女をおぶったまま上体が大きくのけぞる。
「じょ、冗談じゃねえ」
「何よ、ネミッサじゃ不満だっていうの？」
　ぷくーっと頬をふくらませたネミッサは、大きく息を吸い込み、大きな声をはりあげた。
「パパー、がんばってー！」
　歩いていた人たち皆が静まり返り、こちらに――如月に注目が集まった。
「な……！？」
　如月庚十五歳、まさかのパパ認定。
　道行く人のあたたかい眼差しがかえってハートに痛い。
「がんばれパパ、ネミッサをおぶったまま倒れちゃイヤよ！」
「おー、ふんばれヤンパパー」
「誰がヤンパパだ……！」
　嗚呼、踏みこらえるだけで周りから拍手がわきあがるこの始末。
　今日は厄日か――頭を抱えながら、如月は運命を呪った。

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