貴方の声が聞けるなら｜リアクション

貴方の声が聞けるなら

　　　【お兄ちゃん、お兄ちゃん】

　『それでは、お代に貴方の声を頂きます』

　何を言っているの、この兎。七夕でいなくなってしまった幼馴染のお兄ちゃんの声が聞きたいって言っているのに、声を奪われたらお話出来ないじゃない──
　鬼崎あやめは、驚きと共に兎を見たが、それよりも聞けるかも分からない愛しの「お兄ちゃん」の声を聞ける方が優先だった。
　お兄ちゃん以外の声など他人だ。お兄ちゃんの「お兄ちゃん」の声を。

　「(……お兄ちゃん……もう一度会いたいよ……
　わかってる、我儘だって……でも……せめてもう一度声を聴きたいよ……)」
　「……ったく、人がせっかく熱帯魚観察に勤しんでるのに……まだまだ甘ちゃんな妹だな」
　「(お兄ちゃん！？)」
　声を上げようとしたが、声はその概念を無くし、吐息音すら形にしないで消えていく。
　「(なんで！　なんで話したいのに喋れないの！
　……こんなのって……あんまりだよ……)」
　涙が頬を滑る。
　思う心がどう影響しているのかは分からない。
　だが、明確に聞こえる相手の声に対し、届けられない自分の声は、余りにもその不安を煽る。
　「……まあ、それがこの世界のルールだってもんだ……
　けど、せっかく言葉を届ける機会が出来たんだ……よく頑張ってるな、あやめ。本当は心から笑顔を浮かべて欲しいけどな」
　ごく稀に聞かせてくれた声。
　お兄ちゃんは、その優しげで、それでいて少し悲しそうな声でそう褒めてくれるけれども。

　嬉しいけれども、胸がチクリと痛む。
　「(……そんなの無理だよ……だってお兄ちゃんが居ないんだもの)」
　「……大丈夫。俺が居なくてもお前は強いから……それでもどうしても挫けそうなら……あの人を頼れ」
　お兄ちゃんから誰かを頼れだなんて、そんな言葉を聞くのは初めてだった。
　思わず、心の中で問い掛ける。
　「(……あの人？)」
　「……のばら姉さんだ。あの人は生きてる…お前の近くでな」
　「(……！？)」

　「お兄ちゃん」が何を言っているのか分からない。
　だって、あの人は──
　悪戯が成功したような声でそんな事を言い出したお兄ちゃんの声に聞きなれた笑い声が馴染む。
　「まあ、そんな訳だ。そういう驚いた顔も可愛いぞ、ククッ。　さあ、此処までのようだ。幸せにな、あやめ。地獄で待ってるぜ」
　そこまで言った声が、拡声器が壊れたかのようにぷつんと音を立てて消え去った。

　傍にいる兎は声を奪った。少なくとも味方ではない。
　実質、一人で取り残されたあやめは、耐え切れずに声も無いままその場で思わず泣き崩れた。
　「(訳が……もう訳が分からないよ……だって、あの人はもう死んで──
　お兄ちゃんの声が聞けたのは嬉しいよ、でも……こんな)」
　嗚咽を上げる事すら許されず、一人きりで涙だけが止まらない。
　濃霧の中、恐らく泣き崩れ足がついている箇所が床であろう場を塗らす。
　兎は、ただ何も言わずに、両手に持ったにんじんを齧った。
　何度も何度も。