朝顔の咲くころ｜リアクション

朝顔の咲くころ

◇警備員の朝

　橘勇が新聞をすべて配り終えるよりも少し前のこと。
　星ヶ丘寮の警備員用の仮眠室で、八咫鏡がしずかに目をさました。
「ふああ……朝、みたいですね」
　大きく伸びをして、今日のスケジュールを確認する。
　この日、鏡は朝の巡回担当になっていた。
　金の髪からフローラルの香りを漂わせ、シャワールームに入っていく。
　鏡は体の線も細く、声のトーンも可憐な少女のそれを思わせる。
　もしここに誰かがいたのなら、カーテンの先に目の保養な光景を期待しそうなものだが……。
「……あ、覗いたら駄目ですよ？　なんて」
　鏡はカーテンを閉める前、誰もいない空間に向かってそう呟いた。
　どうやらこの先はトップシークレットらしい。

　警備用の制服に着替えた鏡は正門へ向かい、守衛に警備の交代をしらせる。
「おはようございます。お疲れさまです」
「ああ、おはようございます。今日も暑い日になりそうですね」
　まだ朝だというのに、門担当の警備員の顔はやや汗ばんでいるように見える。
　どうやら警備員室には湿気がこもっているらしい。
「ええ。よすぎて我々、死んでしまいそうですね」
「まったく！　ああ、これ、今日の分です」
　鏡の冗談めかした言い方に笑いながら、守衛の警備員は郵便物を渡してくれた。
（夏場の暑さは洒落にならないのですよね……正門の警備室にも、空調がまわるようにしておきましょうか）
　寮生の部屋に配る郵便物を受けとり、鏡は廊下を歩く。

　数部屋分を配り終えて廊下の角を曲がった時、一人の少女が部屋の鍵を閉めているのが見えた。
　御巫時子だ。
　どこかへ出かけるつもりなのか、手に持った鞄からは水筒がのぞいている。
　通りかかる際に、軽く腰を折って会釈をする。
「おはようございます」
「……あ、おはようござい……ます」
　突然声をかけられて驚いたのか、一拍遅れてあいさつが返ってきた。
「私、警備の者ですよー」
　こちらを見て硬直している時子に、鏡はおどけて手をふった。
　職務柄、あいさつを交わすこととほどよい距離を保つことには慣れていた。

　いくつめかになる手紙をポストに投函した時、小さく猫の鳴き声が聞こえた。
「おや、今のは……？」
　手を止めて周囲を見渡してみると、朝顔の鉢を置いたテーブルの下から、茶と黒のしっぽが覗いていた。
「こちら巡回担当鏡、不法侵入猫を発見いたしました」
「にゃーん」
　ふざけ気味にそう言って猫の前にしゃがみこむ。
　最近見かけるこの猫、どうやら勝手に寮内に住み着いているらしい。
　誰かが世話している様子もなく、また警備員たちも比較的おおらかなので、今のところはおとがめもない。
「よーし、大人しくしなさい。もふもふさせてくれたら見逃してやる」
　太った猫は鏡の手を避けるのも億劫らしく、撫でられるままにしている。
　このあともう少ししたら、正門の警備と交代だ。
　鏡はさっきの守衛室で、寮生たちを見送ることになる。
「それでは私もお仕事の続き、頑張ってきますのでね。今日も一日、お元気で」
　名残惜しみながら立ち去っていく鏡の背中を見送るように、猫がひときわ大きく鳴いた。

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