ボクシング部３　＜デビュー戦＞




「よろしくお願いしまーす」
　飄々といった感じで挨拶する日暮 ねむる。こう見えて昨日は緊張してあまり眠れなかった。
（でも、みんなが試合してる間にたっぷり休めたから……だいぶ調子はいいね）
　少なくとも、試合中に居眠りすることはないだろう。

　ライト級ねむるの対戦相手は、少々不良っぽい感じの２年生だ。威圧をかけるように、シュッシュとシャドー。
（いかにもインファイターって感じだな）
　試合を始めてみると案の定、
「うぉっとっと！」
　序盤からグイグイ攻めてくる。
（僕はあまりスタミナ持続できるタイプじゃないし、最初は防御に徹するかなあ）

「こてっこてのインファイターやな」
「何か事前に、日暮と作戦は立てたんですか」
　民谷 鋭二の質問に牛瀬先生は「別に」と答える。
「なんも立ててへん。好きなようにやれくらいは言うたけど」
「まだ入って間もないのに……大丈夫かな日暮」
「どう転がるにせよ、ええ経験にはなるやろ」

（攻撃は最大の防御、といった感じのインファイター……イメトレ相手には絶好の相手だな）
　風雲児 轟は身を乗り出して試合を見守る。町でよくいる、「こちとらボクシングかじってんぞゴラァ！」と脅してくるチンピラ風情は、大抵こんなスタイルで攻めてくる。
（彼らは相手が格下だと分かれば余計、偉そうに強そうに振る舞う。そしてそれが大きな隙を作る）
　最小限の動きで避けるねむるに、相手は大げさなプレッシャーを引っさげて強い一打を間断なく出していた。
（スタミナを浪費させて最後に逆転する作戦なんだろう。ヒーローはあまり好まない戦法だが、相手が格段に上のときは有効だ。やるな日暮）

　２ラウンドからは、逃亡者からアウトボクサーに切り替える。なかなかパンチが決まらなかった相手はかなりイラついていて、無駄な動作がさらに際立っている。
（相手のコーチが注意しないってことは、これが彼の持ち味ってことなんだろうなあ）
　確かに一発一発は重い。何発か食らっただけだがねむるへのダメージは大きかった。対してねむるのパンチは早いが軽い。打ち込んだら即座に間合いを取る。ポイントを取るためというよりは、距離を置くためにワンパンチ挟んでいるといった感じだ。
（クリンチもたまに入れたりしてね）
　相手に抱きついて時間を稼ぐ。
　相手のイライラは頂点へ達しようとしている。
（まだまだ我慢だ。ここで動いたら僕のほうが先にバテる）

　そしてラストの３ラウンド。１分の休憩を挟んでもなお、相手は肩で息をしている。怒りと疲れが目に見ていた。
「さて」
　手をだらんとさせたまま一息吐き、一旦足元を見る。
「そろそろやりますか」
　相手を再び見据える。その目には先ほどまでの気だるげなねむる特有の色がない。獲物を獲りにかかるハンターのそれだった。

（相変わらず重そうなパンチだ）
　しかしもう何度も食らったため回避するタイミングは熟知していた。フックをダッキングでくぐると、右のカウンター。相手がフラッと倒れそうになる。レフリーが支えに入るが、相手はそれを拒む。
「まだ行けるんだね」
「野郎め……！」
　血管の浮き出ているのがヘッドギア越しでも見えた。
「こっからは僕も本気でいくからさ。あなたも本気でお願いしますね」
　ブチッと血管の切れる音がしそうだった。怒りにかまけた一発が来る。
（あからさまだな）
　スウェーで淡々と避け、レバーブロー。
「うっ」
　うめき声がねむるのすぐ横でもれる。
（どんなに強い選手でも、ここは効くらしいけど）
　事前に仕入れた知識通り、相手の体がねむるに覆い被さった。そのまま動かなくなる。
「ふむ、まぁまぁかな」


「すごい！　ねむるさんも勝ちましたね！」
　北条 冬華が盛大な拍手を送る。
「相手の力を利用したカウンター攻撃ばっかやったが。ゆえに相手へのダメージはでかかったな」
「アマチュアボクシングでKOは凄いね」
　桜庭 円が感心しながら記録をつける。

　轟と鋭二も興奮しっぱなしだ。
「こりゃすげぇや！　イメトレが捗るぜ！」
「イメージトレーニングか……効果あるのか？」
「大ありだぜ。相撲の世界では見取稽古って考えもあるくらいだ。これも立派なトレーニングの一つさ」
「なるほど」
　撮影してばかりだったが、そういう風に試合を見るのも悪くない。
「よし。風雲児、悪いがカメラ頼む。次は俺だ」
「おーけー、頑張ってきな」





（この流れに乗って俺も勝ちたいところだが）
　ライト級の鋭二、初めての部員以外での手合わせ。相手は同級、身長は鋭二より低い。
（まずは相手のタイプを見極めないとな）

　試合開始のゴング。両者しばし探り合いが続く。軽いジャブを繰り出しては引き、繰り出しては引きのヒットアンドアウェイ。これを交互に。
（同型か……）

「なんか警戒されちゃってますね」
　心配そうに見守る冬華。
「こっちが勝ちまくってるから、相手もだいぶ慎重になってるね」
　円の分析に牛瀬先生も同意。
「今までの相手よりも冷静なタイプ。性格まで民谷と同じやな」

リングの鋭二自身、
（なんか似ててやりにくいな）
　と感じている。
　両者にらみ合いといった感じで、０ポイントのまま１ラウンドは終了。
「くそ、やっかいな相手だな」
　いら立ちを感じながらコーナーにつく。
「落ち着け」
　セコンドは邪衣 士だ。
「倒しにいく必要はない、ポイントさえ上回っていれば勝ちなんだ。失点を抑え、隙が見えればポイントを取る。これがベストじゃないか」
「うん、なるほど」
　士のアドバイスに轟のエッセンスを加える。体の回復を図りながら、頭の中でイメージした。相手が繰り出してきたパンチのパターンを刷り込み、より素早い対応をイメトレ。早く反応できれば、隙を瞬時に発見して一発を送り込める。
「よし、次はポイント取るよ！」
　気合を入れて２ラウンド。ここを勝負時と決める。

　さっきよりも迅速な回避を心がけ、懐に隙ができたら叩き込む。全てが成功したわけではないが、ポイントを着実に稼ぐことができた。こちらもポイントを取られることはあるが、おそらくこちらのほうが上回っているだろう。

「地味だけど……いい戦い方だ！」
　託されたカメラ越しに応援する轟。
「いい感じで緊張のある試合だね」
　ねむるも固唾をのんで見守った。

　３ラウンド。今度は防御に徹する鋭二。
（なるべく点を取られないようにする！）
　そしてまた隙を見つけたら、
「とりゃ！」
　声をとともに一打。自慢のスタミナもだいぶ消耗し、声を出して勢いをつけずにはいられない。

　アウトボクサー対決、どちらも疲弊しきって試合終了。

　ポイントの結果は……鋭二の勝利！
「よっしゃ！」
　普段は見せない、周囲を憚らない喜びの舞いを見せる。
「やったな民谷！」
「すごいです！」
「これで３連勝！」

　互いにハイタッチする部員たちと見学者１名。それを見ながら牛瀬先生、暑いのかシャツのボタンを一つ外す。
（まさか３タテをかましてまうとは）
　ちょっと対戦相手に申し訳ない気もした。
（もしかしてうちのボクシング部、結構強いんやない？）
　牛瀬先生がセッティングしたこの相手校が、インターハイ優勝選手も出したことがある強豪校と知るのは、寝子島に帰還してからのことである。


　こうして無事に全試合が終了。互いに握手と挨拶を交わし、綺麗なかたちで終わることができた。


「よし、それじゃあみんな頑張ったことだし、牛瀬先生のおごりで焼き肉行こう！」
　部長の提案に満場一致の大賛成。
「おいおい、勝手に決めんなや……まあでもええわ、食べ放題で堪忍な」
「やった！　風雲児も行こうぜ」
「お、いいのか！」

　これがあるから、ボクシング部は止められない。轟もちょっとばかし入部したくなるのだった。

　翌日のインターハイ第２戦。ひびきはまたも優勝候補とあたり、ここでは惨敗。しかしたくさんの経験を積むことができ、大収穫だった。


　寝子島高校ボクシング部。彼らはまだまだ強くなる。