寝子島バロック狂騒曲｜リアクション

寝子島バロック狂騒曲

　バッハが「最後の仕事」を終えて音楽室から出てきた、と弥生先生から皆に連絡が行った頃には、すでに夕闇が迫り始めていた。
　思い思いに時間を潰していた生徒たちは、三たび音楽室に集合する。
　待っていたバッハの表情は、満ち足りたものだった。
「死の床でも、ワタシの頭の中には音楽が鳴っていマシタ。ようやく、その未練を解消することができたのデス。これが、完成した楽譜―――『フーガの技法』の最後の曲デス」
　現代によみがえったバッハが完成させた曲。全員が感嘆の声を上げていた。
「バッハ様―――私でよければ、その作品を弾いてみてもよろしいですか？」
　ピアノが弾けるエリューシアが申し出た。
「お願いしマス―――この曲の初演者は、この中の誰かがふさわしいデス」
　エリューシアはピアノに向かい、深呼吸をした。そして楽譜を確認してから、鍵盤をそっと叩き始める。
　ゆったりとした静かな音楽は、やがて少しずつ盛り上がりを見せていく。悲しみや喜び、そうした感情すら超えた荘厳な音楽。これまでは、楽譜の残っている途中までしか演奏はされなかったが、今は違う。芸術の極みとも言える高みに上りつめ、曲はこの世のものとは思えない美しいピアニッシモで閉じられた。
　数秒の余韻ののち、作曲者と演奏者に向けて拍手が起こった。何か感想を言おうとする者は誰もいなかった。バッハの生み出した最高の音楽には、何を付け足しても蛇足になる。皆がそう感じていたに違いない。
「ブラヴォー……これ以上に心のこもった演奏は、ほかにないデショウ」
　バッハが感慨深げにエリューシアの演奏をほめたたえた―――アリーセが驚きの声を上げたのはその時だった。

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