箒星は夜闇を駆けて｜リアクション

箒星は夜闇を駆けて

◆
街の明かりは眼下に小さく、人々の喧騒は遠く聞こえず。
お菓子と一緒にバスケットに入れた水筒、その中身の紅茶が揺れる音すら聞こえるような静寂の中。
花風冴来は、濃紺の夜空を見上げていた。
今日の空には、明るく輝く月はない。だから、流星がよく見える。
それは確かに、素敵なことではあるけれど。
冴来が好きなのは、星よりも月の方。
一つ、二つ。流星が夜空を駆けては消えていく。今日は居ない月の代わりには程遠い、微かな光を残して。
雲ひとつない夜空とは対照的に、冴来の心には雲がかかっていて。
沈む、沈む。
流星が、地に向かって落ちていくように。
憂鬱な心を晴らすには、甘いものが良い。
ちらりとバスケットを見やるけど、その中身に手を伸ばす気にはなれなかった。
――もう、愛しいあの人と笑いあえないのかな。
流星みたいに、脳裏を駆けていく不安。
違うのは、いつまで経っても消えてはくれないこと。
そんなことは無いはずと、信じたくても。
次から次へと流れだす不安が、心を埋めていく。
バスケットの把手を握る手に、ほんのわずかに力がこもった。
仰ぎ見る空を、流星が変わらず駆け続けている。
『流れ星に願い事をすると、願いが叶う』
そんな誰もが一度は聞いたことのあるおまじないに、頼りたくなった。
だけど。
「仲直りできますように」なんて、願うことはしない。
それは自分の為の願いだから。
自分の為の願いは、自分で努力して叶えられるようになりたいから。
……でもそれなら、一体何を願おうか。
そっと目を伏せる。
自分の為じゃない――誰かの為の、願い事。
考えに考えて、出てきたのは一つの答え。
伏せていた目を開けて空を見上げた冴来の視線の先を、ひときわ長く尾を引いた流星が駆けていく。
それが消えてしまう前に、途切れ途切れのか細い声で答えを口にする。

「……あの人が幸せに……なれますように……」

誰よりも大切なあの人が。
本当に望む場所に居られますように。
私に幸福を与えてくれた彼に、どうか。

これ以上ない程の幸福が、訪れますように。

こう願うことが、罪だったとしても。
こう願うことが、間違いだったとしても。
こう願うことで、罰を受けなければならないのだとしても。
それでも、構わないから。
どうかこの願いが、叶いますように。
ただそれだけを、冴来は願う。
夜闇を駆けていく箒星に。
ただそれだけを、冴来は祈る。
愛しい人の為に。
何度も、何度も。
ひたすらに祈りを捧げながら見上げる空には、数多の星が輝いていた。
箒星だけじゃない。いつもそこにあるけれど、普段は月に隠れて見えない星々が。

明るく夜を照らす月は、今日はどこにも居ない。だから夜空はとても暗くて。
だけどその分、星が綺麗に見える。
今まで、冴来には見えていなかったもの。
それに気付くことができたから。
――だから私は、大丈夫。
想い人への思慕と、小さな決意。
前を向くことができたから。
――きっと、大丈夫。

箒星は夜闇を駆ける。
彼らを見上げる誰かの願いを乗せて。
その願いが忘れられてしまわないよう、星空に刻みつけるように。
箒星が燃え尽きても。
願いを言葉にすることがなくなっても。
大丈夫。

星空に刻まれた願いは、決して消えはしないから。

このページにイラストを設定する