はや瀬のぞめき｜リアクション

はや瀬のぞめき

　　【若女将と旧市街】

　「おお、これは……」
　刀が連れて来た観光客の男性は、思わず感嘆の声を上げた。
　自然の山を背後に、その側面には海が一望できる立地に建った、趣のある風情にあふれた旅館。
　声を上げた男性の側に、一人の少女が飛び出してきた。
　「買い出しいってまいります！」
　「常葉、こんにちは。今日も着物姿決まってるな」
　刀の言葉に、観光客である壮年の男性も、その少女が刀の知り合いである事を理解して、一緒に会釈する。
　「有難うございます。これから『宮祀青果店』へ買い物へ行くところなんですよ」
　「ああ、引き止めて悪かったな」
　「いえっ、それでは！」
　挨拶をした少女が飛び出していく。

　少女──常葉治は昔名前の呼び名を「おさむ」と読んだ。
　しかし、１４歳を機に自分が性同一性障害である事を親に告白し、親である常葉亜紀は涙を流しつつもそれを優しく受け入れてくれ、はれて治は「はる」と改名して今に至ったのである。
　外見上においても、その過去を告げられても認めがたい程の美少女である事には間違いなかった。

　「まず『魚新』で白子と……『宮祀青果店』で、お客様へのデザートを……」
　着物の袂に入れたメモから目的地を読み上げ、確認してから歩く。
　買い物に飛び出した治は、まず『魚新』へと足を踏み入れた。
　「らっしゃーい。うお、あ、治さんまいど」
　「はい」
　「ちなみに、『うお』は魚屋ならではの初心者ギャグだから覚えといて損は無いよ」
　「は、はい。今日は、お土産用の寝子饅頭の白子を買いに来ました」
　「いつものと白子ね。
　今日もいいの入ってるよ。
　しかしこれがあの饅頭になるとは流石のボクもびっくりだよ。
　奇を衒ってるだけじゃなしに美味いしね」
　「ありがとうございます。女将にも言ったら喜ぶと思います」
　「あと、今日の朝おろし立てのマグロの中落ち、美味しいのが入ってるんだ。良かったら持ってくかい？」
　「はい！　ありがとうございます！」
　
　「次は『宮祀青果店』──いつも迷ってしまいます。あった、ここですね」
　遠くから治が場所を確認すると、いつも見せのお手伝いをしている、宮祀智瑜がきょろきょろと辺りを見渡しているところだった。
　「どうかなさったんですか？」
　「あ、いらっしゃいませ。若女将さん。
　いえ、今日はいつもよりずっと人が多いなって……」
　「今は観光客の方が多いですから、きっとそれで」
　「なるほど、納得です！」
　元気に頷き返す智瑜。
　「ところで、今が旬の食材を探しているのですが──」
　「そうですね、メロンやスイカ、ブルーベリーも旬ですよ」
　「では、メロンをいただけますか」
　「はいっ、まいどありがとうございます！」

　治が時計を見ると、もう昼の予定を半刻も過ぎていた。
　「いけない！　急いで帰らないといけませんね」
　あわよくば昼の息抜きを──などと考えていたのは甘かったようだ。
　──こうして、治の一日は過ぎていく。
　今日も治は、薫風常葉の若女将として、日々奮走するのであった──