縁の幻路｜リアクション

縁の幻路

　夏は暑さで世界が滲み、色々なものが曖昧になる。怪談が流行るのも、涼をとるためだけではないはずだ。目に見えるものだけが全てではない、例え見えなくとも、存在するものはある。例えば背中に広がる世界は見えなくとも、確かにそこに広がっている。
　妖精の輪を踏んだ訳でもないのに、不思議な世界に引き込まれてしまった弓立招だったが、不快な気持ちはなかった。どんな存在が、どんな理由でこの世界に引き込んだのかは分からないが、こんな薹が立ったおじさんでは何の足しにもならないだろう。
　苦笑しつつも、不思議な世界を歩く足取りは軽い。見知らぬ場所は何時だって、心踊る。少年老い易くとは言うが、些細な切欠さえあれば、心はいつでも少年に戻る用意が出来ている。引き込まれてしまったのなら、その世界を存分に堪能しなければ勿体無い。同じ阿呆なら、踊らにゃ損。
　縁の幻路と言うからには、おそらく誰かとの縁を繋ぐ道なのだろう。縁を繋ぐのには理由がいるが、一度繋がった縁は簡単な事では切れない。縁のために用意された舞台の上で、縁を結ぶのは自分か他人か。ボンヤリとそう考える招の背後で、ふわりと空気が動いたのを感じた。

　店の仕入れ準備も早めに終わり、ポッカリと中途半端に時間が空いた。時刻は１４時５０分を少し過ぎた辺り。１８時３０分まで、する事がなかった。常葉治は女将に一言伝えてから薫風常葉を後にした。黒い日傘を広げ、ゆっくりと歩き出す。
　若女将と言えども、治はまだ高校生だ。女将の仕事はやりがいがあって楽しいけれども、寂しいと言う気持ちもある。皆と、普通に遊んでみたい。そう思ってしまう事もある。綺麗に纏めた髪に挿した金色のかんざしが、歩くたびに揺れる。ゆったりとした速度なのは、黒い着物が歩幅を狭めているから。黒地に飛ぶアゲハチョウ、腰元を締める向日葵の帯。すれ違う女の子のスカートは短く、長い足を目一杯に伸ばして足早に通り過ぎていく。
　たまには、誰かに会いたい。そう思いながら歩いていると、見知らぬ通りに出た。焼けるような日差しは陰りを帯び、濃密な霧が辺りを覆っている。
「あなたも引き込まれてしまったようですねぇ」
　穏やかな声がかかり、治は日傘を閉じると目の前に立つ招に目を向けた。柔和な顔立ちの美しい男の人だった。
「ここは……？」
「縁の幻路という道だそうです」
　縁と言う言葉に、治は目を伏せた。誰かと会いたいと願って歩いていたから、ここについてしまったのだろうか。
「ここで出会ったのも、何かの……いえ、この世界が繋いでくれた縁。私は弓立招と申します。お名前を伺っても宜しいですか？」
「常葉治です。旧市街にある薫風常葉という料亭旅館で若女将をしています」
　だから着物なのかと、招が感心したように緑色の瞳を細める。さて、この先どうしようかと考えていると、霧の中から銀色の髪の少年が姿を現した。昴が少々驚いたように緑色の瞳を丸くし、招が先ほどと同じように自己紹介をし、治もそれに続く。最も、今度は寝子高１年２組だと言う事も付け加えておく。
「昴くんは霧の向こうから現れましたが、この先には何がありましたか？」
「色々ありましたよ。小さな公園に遊園地、喫茶店に図書館もありました」
「図書館、ですか。良いですね。不思議な世界にある図書館は、きっと蔵書も豊富でしょう。私は図書館に向かってみましょう。昴くんと治さんはどうしますか？」
　昴と治が互いに言葉を譲るような雰囲気のアイコンタクトを交わし、昴が先に口を開く。
「僕も図書館に行ってみようと思います。常葉さんはどうする？」
「私は……もう少し、この辺りを歩いてみようと思います」
「そうですか。多分大丈夫だとは思いますが、気をつけてください。不思議な世界では、不思議な事がよく起こりますから」
　それではまたどこかでご縁があれば。と、頭を下げて歩き出す招と昴に、治は自分の手の中の箱を見て思わず引き止めた。
「うちの旅館で出している寝子饅頭なんですが、もし宜しければ」
　外で食べようと持って来ていたのだが、寝子島おいしいものフェスタいちおし認定商品に選ばれたお饅頭だ、折角なのだから誰かに食べて欲しい。
「ありがとうございます。……そうだ、治さんにこれを」
　そう言って手渡されたのは、朝顔の花が描かれた黒い結びかんざしだった。
「私が持っているよりは、治さんに使っていただいた方がかんざしも喜ぶでしょう」
「でも……」
「人にも物にも、縁があります。このかんざしの繋がる縁の先は、私ではなく貴方です」
　縁と言われては断り続ける事も心苦しくて、治は丁寧にお礼を言うと、そっとかんざしを懐にしまった。

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縁の幻路

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